2017~2018年旅順+ソウル旅行(2)
市バスに乗ったものの、とにかく歩き疲れていたのと、行き先をよく確認しなかったので、どこで降りるかあまり考えていませんでした。
せいぜいどこか見どころが目に入れば降りようという感覚でしたが、案外バスのスピードが速く、気が付いた時にはすでに旧旅順ヤマトホテルの前を通り過ぎていました。そしていつの間にか海岸沿いの道に出ていました。ここが二百三高地から眺めた旅順港の辺りなのでしょう。ちょっと感慨深いです、と思っていたら、あっという間に見どころの一つである旅順駅の前も通り過ぎて行ってしまいました。いい加減どこかで降りようと思い、乗客が大勢降りるバス停で自分も降りました。地図を見て、ここからどこか近い見どころを探すと、旅順日露刑務所旧址というところがありましたので、そこまで歩いていきます。
途中に旧旅順最高法院というところがあったはずなのですが、どういうわけか見つけることができませんでした。まあいいかと思いそのまま突き進んでいきましたが、意外と目的地は遠く、到着までかなり時間がかかってしまいました。これだと行ってみたかった場所の一つである旅順博物館は行けそうもありません。
旅順日露刑務所旧址。北海道にある博物館網走監獄をイメージしました。さて実際にはどうでしょうか。韓国のソウルの西大門刑務所のような、反日教育施設のようなものでしょうか。私はこういうきな臭い(のかな?)ブツが大好きなのですが、別に私はヘンタイではありません。いややっぱりヘンタイかな?
ここは、もともとは帝政ロシアが建て、日露戦争後に日本が拡張した施設とのことです。なぜかここも入場料を取られないで中に入れました。ただし係員が「早く入れ」という具合な感じで追い立てます。郷に入れば郷に従う典型的な日本人であるわたしはヒツジのようにおとなしく従います。
建物の入り口に入ると、なぜかコスプレではないモノホンの中国人民解放軍様御一行が中で反日洗脳教育の真っ最中でした。しまった!ここでうかつに日本人であることがわかってしまうと、ここに収監されていた安重根のようなテロリストもとい愛国者に刺されてしまうかもしれませんが、気にしないことにします。
先客が大勢いたのでもっとじっくり見たかったのですが、係員が例によって追い立てるので、先へ進みます。
ここはハルビン駅で伊藤博文を暗殺した安重根が収監されたところなので、愛国系韓国人の巡礼コースなのでしょうか。逆に日本人はお呼びではないようです。
ここがここのハイライトの一つ、安重根が収監された部屋です。だけどこういうところを見せると中日友好に影響が出ることを施設側が忖度したのか、日本帝国主義を学習しにわざわざここにやって来た小日本人をここでも無慈悲に追い立てます。
グレー色の建物はロシアが建て、レンガ部分は日本が後に増築したそうです。
革命学習中の若き人民解放軍兵士。これらを見て何を想う。
「日本帝国主義の中国人民に対する仕打ちは許せない」
「小日本の工業は意外と大したことない」
「チベットや新疆ではもっと上手にやったる」
「腹減った」
ほとんど旧旅順日露刑務所についての予備知識を持たないでやってきましたが、ここもおそらく主な見どころの一つなのでしょう。
このあと、ここで処刑された者の処分の仕方についての模型を見ました。そこは撮影禁止です。慰霊?の花が添えられていました。
私は、二百三高地で買った日本語の本を特に隠さないでずっと手に持って見学していました。別に挑発しているわけではありませんが、よく若い兵士に殴られなかったものです。気付かれなかっただけかもしれませんが。
これでここの見学は終わりです。
旅順刑務所を出て、次は東鶏冠山北堡塁に向かいます。時間的に今日の観光はここが最後でしょう。通りでタクシーを捕まえてそこへ向かいます。
旅順刑務所へ向かって歩いてきた道を戻り、街をかすめて進路を北東へ向けると山が迫ってきます。そしてメイン道路をそれて結構長い間走っていくと東鶏冠山の駐車場に到着しますが、タクシーは私を降ろすととっとと引き返していってしまいました。
二百三高地もそうでしたが、ここも客待ちのタクシーはありません。歩いて引き返すのはちょっと辛そうですが、どうなることやら。
旅順攻防戦における激戦地の一つである東鶏冠山北堡塁。10年前はここは外国人未開放地区で、ガイド同伴で行くことができました。今はこうして一人でふらりと行くことができます。
要塞は弾痕だらけで相当生々しいです。ここも夜に行ったりすると、本来は見えないはずの何かが見えてしまうかもしれませんが、やはり気のせいですよ、たぶん。
子供のころ、映画「二百三高地」で、ロシア軍が放つ機関銃の銃弾によって、突撃した日本兵がばたばたと倒れていくシーンを見て、あの時代に生まれないでよかったと心から思ったものでした。
ここにはロシア側の要塞の実質的な司令官であったコンドラチェンコ少将の戦死場所を示す石碑が残っています。10年前は石碑の文字がはっきりと読めたのですが、いま目の前のものを見ていても、解説がないとそれと気づくのはちょっと困難です。
こんな備え万全な所にライフル一丁で突撃させたとして、乃木大将をはじめとした第三軍司令部を無能とした司馬史観をはじめとする従来の見方に対し、近年は徐々にそれを否定する研究分析がなされてきています。そうはいってもここが日本軍にとってとんでもない戦場であったことにかわりはありません。
ここにはちょっとした展示施設があります。写真は機関銃や28サンチ砲の砲弾だったと思いますが、本物か模型かは確かめていません。規模や雰囲気がわかれば十分と思っていましたので。もっといろんなものを撮影したつもりでしたが、実際にはこれだけでした。すでにかなり疲れていたのかもしれません。
東鶏冠山北堡塁はこれで終わりですが、せっかく二回目の旅順観光なので、前回行っていないところも回らないとおもしろくありません。とはいっても結構いい時間になってしまいましたし、二百三高地や旅順市内で結構歩いたのですでに疲れています。だけどここのすぐ西に、望台山砲台というところがあるので、そこにも足を延ばすことにします。
すぐ西とはいったものの、「地球の〇き方」ではそのように書いてあるだけで、実際には結構歩かされました。そして入口に着いたらそこから砲台まで百段くらいの登り階段を上がらねばなりません。
文字通りの苦難の行軍を終えて砲台に着きました。この砲台はロシア軍のものです。ここからも旅順港が見えます。また反対側には、自分が大連方面から乗ってやってきた鉄道の高架橋が見えます。
東鶏冠山を降りますが、行きはタクシーで進んでいったところを今度はひたすら歩いていきます。途中にあった看板にあるように、社会主義国家建設に向けて大躍進する革命的な中国人民にあやかって、私も前進を続けていきたいと思います。
山を降り切って街中にはいったところでバス停を見つけました。やれやれという気分でやってきたバスに乗りました。もう一か所まわることができるかと思い海岸方面に行きましたが、あっという間に周りが暗くなり、バスを降りたころには真っ暗になってしまいました。仕方がありません、大連に帰ることにします。
帰りはバスにします。行きの鉄道は通勤電車タイプなので座ることができませんでした。バスなら座れるはずです。バスターミナル行きのバスに乗って、終点で降ります。そしてターミナルに入って大連行きバスの切符を購入します。7元でした。鉄道より安いです。
バスは観光バスタイプです。あまり乗客は乗っていませんでしたが、バスに乗ったらすぐに発車しました。バスは昼間行った水師営を経由して行きます。
途中バスの中で失神していましたが、1時間ちょっとで大連に到着しました。着いたところは大連駅の北側の一角です。駅前の安食堂で旅順要塞陥落の祝杯をあげます。そしてそのあと天津街にあるウイグル族のシシカバブ屋台で羊の串焼きを食べます。すっかり大連でのルーチンワークと化していますが、羊好きなわたしにとってここは外せません。今日はここまで。
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