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1991年ソ連旅行(6)

 瀋陽といい長春といい、連続で(わりと)いいホテルに泊まってしまった、列車の切符も一等車ばかり使っている、こんなんではもはや私は一流の中国個人旅行者になれないと自己批判していたかといえばそんなことはなく、もはや地道に切符売り場の行列に並ぶのは時間の無駄なので、外国人の特権を利用して楽に旅行する方に舵を切り替えました。当時中国にはCITS(中国国際旅行社)なるものがあり、そこを利用すれば、支払いは外貨兌換券(両替の際に外国人が受け取る紙幣。その対であるシャア専用、ではなくて中国人民専用紙幣が人民幣。兌換券は数年後に廃止された)とか、割高な外国人料金で請求されるものの、随分と楽に切符を入手できます、もちろん切符があればの話ですが。ということで、今晩発の北京行きの切符を調達しに、長春市内にあるCITSに行くことにします。

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 長春市内には、旧満州国時代の路面電車が残っており、ちょうど駅前からCITSのあるホテルの近くまで路線が伸びているので、それを利用します。路面電車は相当くたびれていて、風情はありますが脱線しないか少々不安になります。

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 市街地南部にある南湖の近くにある路面電車の終点近辺のやや高級そうなホテルの中にCITSがあり、その事務所の中に入ると、なんとなんとそこにも日本語がペラペラの年配の女性がいまして、容易に希望を伝えることができました。今晩の長春発北京行きの夜行特急の切符が、硬座(二等座席車)だが1枚残っていると言われ、迷うことなくそれを買いました。これで当初の計画通り北京に行くことができます。こんなに日本語ができる人に遭遇できるのは奇跡でしょうし、計画通りに旅行ができるのも奇跡かもしれません。

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 ところで、満洲里経由の国際列車に乗るのなら、北京に戻らなくてもハルビンあたりから乗ればいいのではと思われるかもしれません。私も当初はそう希望しましたが、手配を依頼した旅行会社によると、国際列車は途中の駅から途中の駅に降りるという利用の仕方はできないらしく、自分の場合だと途中のイルクーツクで降りるなら北京から乗るしかなくなる、ということです。まあ北京まで戻るのも悪くないと思い、それについてはそれ以上リクエストしませんでした。

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 ここからは、長春の市内に残っている旧満州国の官庁の建物を眺めながら長春駅に向かって街を北上します。その中で特に目を引くのが「満洲国国務院」で、ちょうど日本の国会議事堂のような建物です。今は吉林大学の庁舎とのことですが、その時はなんだかこれは大ぴらに写真を撮ってはまずいブツではないかと思い、ビビりながら撮影しました。

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 こうして長春駅に戻り、今度は街の東部にある「(偽)満洲国皇宮」にいくことにします。タクシーを捕まえようとしていると、ぱっと見中学生か高校生くらいのおかっぱ髪のかわいらしい女の子が中国語で話しかけてきます。これがうさんくさい男性なら全く相手にしないのですが、ちょっと珍しいので話を聞いてみました、といっても中国語はわからないので結局筆談となるのですが、どうやらガイドしてあげるとのことです。こういうたぐいの話は男女に限らず得てしてろくなことにならないものですが、どう魔が差したのか面白そうと思ってしまい、タクシーに乗って一緒に行くことになりました。

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 映画「ラストエンペラー」の主要な舞台の地の一つであるここは、私にとって今回の旅行のハイライトの一つです。ところがこのお嬢にとってはどうでもいいものなのか、せっかちに館内を回っていきます。ですのでだんだんとこのお嬢と一緒に来たことを後悔し始めました。

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 しかしながら、ここは今の中国でいう「愛国主義教育施設(みたいな表現だったか)」なので、こんなところに日本人が来るとリンチにあう(相当言い過ぎ)ところを、このお嬢がいたお陰で無事に済むことができた、なわけないか。

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 映画のシーンにできた部屋や建物がたくさんあったのですが、意外なほど写真が少ないのは、持ってきたフィルムの数に限りがあって、まだこれから北京や中央アジアで使う分を残しておかねばならなかった、デジカメのようにばしゃばしゃ撮ることができなかったというのもありますが、やはり落ち着いて中を動き回れなかったのが原因でしょう。

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 再びタクシーを拾って長春駅に戻ります。この時の運転手はなぜかロシア語を勉強しているようで、日本人である私に向かってロシア語のテキストをかざしつつ、ロシア語の単語を話しかけてきます、といっても「ヴァグザール(駅)」だけですが。そもそもなぜロシア語なのか。近い将来ソ連が崩壊してロシア人が大挙して買い出しにやってくることを予見していたのか。だとしたら神です。ダスヴィダーニャ、タワーリシチ(さようなら、同志)!

 それからは長春駅の軟席待合室で待機です。もっとも私が持っている切符は硬座なので本来そこを利用することはできないのですが、お嬢が構わず中に入ってくるので成り行きでついていきます。このお嬢、筆談によれば漢族ではなくてモンゴル族とのこと(でもモンゴル語は話さない)、そして食事はしないのかとか、どこかで休憩しないのか(いわゆる「ご休憩」なのか、単なる仮眠できる旅社を案内しているのかは不明、ってお嬢は明らかに未成年だろっっ)と書いてきますが、要らないと伝えると、ガイド料をくれと訴えてきました。ああやっぱりと思いましたが、そう簡単にお金を与えるのも癪なので意味の分からないフリをしていると、今度は「日本は戦前中国でひどいことをした」みたいなことを書いてきます。モンゴル族がそんなことを訴えてくるのがちょっとピンときませんが、またしてもああやっぱりと思い、こんなことを訴えてくる以上たとえ暇つぶしであってももうこのお嬢にはいてもらいたくなくなったので、適当にお金を渡して帰ってもらおうとしたら、お嬢はお金を受け取ったとたん何も言わずさっと待合室から出ていきました。その瞬間待合室の女性服務員は「ハアッ」と大きなため息をつきました。あのお嬢はもしかしたらこの辺では札付きの困ったちゃんなのかもしれません。だとしたら私はそいつに捕まったマヌケということか。もうここには居れないので一般人民用の待合室に移動して列車を待ちます。やれやれ。

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