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2005年ウズベキスタン旅行(ティムール編)

 もともとティムールに深い関心があったわけではない。大学入学時の自分にとって一番の関心ごとはオスマン帝国だった。それが、大学2年時の夏季の集中講義に外部の講師による「アジア諸国史」という講座があり、この年の講義内容が中央アジア史、特にティムール帝国史であったことで、自分の関心ごとが中央アジアにまで広がった。京都外国語大学の堀川徹先生。トルキスタンにおける支配者としてのティムールの立ち位置、つまりチンギスハーンの血統でないがためにハーンを名乗れず、かといってハーンの権威は絶対的なものであり、よって当時まだ存在したチャガタイハーン国の末裔のキュレゲン、すなわち娘婿となって権威を利用したのか利用せざるを得なかったのかはわからないが、とどのつまりアジアにおいて、いやアジアに限らず世界では「血統書」というものはそれほど重大なものであることを知った。
 とはいっても、夏のアメフトの練習の合間を縫って、あるいは練習のために講義を途中で抜け出しながら、エアコンのない猛暑の教室で講義を聴いていると、どうしようもなく眠くなってくる。一度先生を囲んで飲み会を行ったが「君はいつも眠っているね」と言われてしまった。
 確かに眠ってもいたが、先生の話は私の「素人な」歴史観を揺さぶった。「シルクロード」という誰でも知っている言葉がある。そして中央アジア史をシルクロード史と呼ぶこともある。一般人にとってはその方がわかりやすい。「ウズベキスタンに行く」と言うより「シルクロードに行く」と言った方が分かりやすいように。余談ながら「ウズベキスタン~」と言うと「危なくない?」と言われるが、「シルクロード~」と言うとほとんどそんなことは言われない。しかしながら当地の一次史料に東西交易に関する記述はほとんど出てこない。統治者にとって一番の関心ごとは北方の侵略者の動向である。シルクロードを東西関係とすると、北の遊牧国家と南の農耕オアシス国家との攻防は南北関係であり、南北の攻防が何かの拍子で融合してしまって強力な軍事国家として登場したのがティムール帝国である、とまでおっしゃっていたかどうかまでは覚えていないが、概ねそんなところである。シルクロード煙管論というのを紹介された。煙管は端と端が黒くなり、途中はただの管、すなわちあまり大事でない部分。端とは中国とインドローマであり、ただの管は中央アジアというところが煙管そのものであり、東西関係重視はシルクロード煙管論そのものである、というものである。こういう学会内の話は、中央アジアや西アジアの専門家のいない愛知大ではとうてい聞くことのできないものであり、眠ってばかりであったものの、本当に有意義な時間だった。
 ところが、なぜかといっては失礼だが、豊橋市内の豊橋短期大学(現:豊橋創造大学)に、イスラム化前の仏教徒ウイグル族の研究をされている小田壽典先生がおられることを卒業間際のタイミングで知り、小田先生がロシア革命時に活躍したバシキール出身の歴史家でありトルコ学者で政治家でもあったゼキ・ヴェリディ・トガンの「弟子」であったことを知った時は、身近にとんでもなく素晴らしい先生がおいでるのにもかかわらず、そういう恵まれた環境を全く生かすことができなかった自分のフットワークの悪さを嘆いたものである。とはいっても語学がどうしようも苦手な自分に研究者は到底無理だということも薄々わかってきたので、無理しなくてよかったというのも正直なところである。
 ティムールのことを語るつもりだったのに、大いに脱線してしまった。

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