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はじめてのクリスマス

そりゃ、年を取ってたら、何度もクリスマスはやってるよ。もうそれなりに年だもんな。そんな中で一番のクリスマスは、そりゃ、交際して二か月めのクリスマスだったろうな。「楽しかった」という感覚はあるんだけど、何も憶えてないけどね。でも、最高だったはずさ。よくわかんないけどね。

寒いところに住んでたんだ。田舎の学生さ。雪は降らないのに、凍てつく寒さだったんだ。あんな寒いところによくもまあ住んでたもんさ。あんなに寒いところなのに、暖房器具は電気コタツだけなんて、学生はストーブなんて、とても持たしてもらえなかったんだ。ちゃんと使おうと思えば使えただろうけど、石油ストーブは、そんなのが狭い部屋に一つあると思ったら、それだけで火事になりそうで、やはりたくさん着込むこととコタツしかなかったんだろうな。

当時の下宿というのは、窓ガラスも一枚だから、ストレートに寒さが窓からも、床からもやって来て、コタツの上のコップに氷が張る時もある、なんて言われるような寒いところだったんだ。五月に雪が降ったことだってあるし、ムチャクチャ寒いところではあったんだ。

そんな寒いところで、彼女を見つけて、交際二ヶ月だったんだな。デートはたぶん、交際一ヶ月を記念して美術館に行ったかな。彼女と手をつないだだけで興奮しちゃって、うれしかったのは宴会の芸にもなったんだけど、ものすごく内輪の芸だな。何も知らない人が見たら、「これは芸なの? 何もオチがないじゃないの!」と思うだろうな。でも、仲間うちでは、「ホレ、いけ! それからどうした! もつと飲め!」なんていう変なノリが生まれたんだけど、学生ならではのおバカさんのノリだったなあ。あんなの、学生仲間でしかできないよね。学生は、どうしてあんなつまらないことで盛り上がれたのかなあ。わからないよね。でも、それが今にも続く関係になるんだから、あの時のおバカな盛り上がりは大事だったんだな。

学生の冬休みはいつだったんだろう。四年生の卒論の締め切りもあるから、十二月のまん中くらいまでは何かあったのかなあ。でも、二十日を過ぎたら冬休みだったはずさ。そして、冬休み、あの寒い町でガラス磨きのバイトをしてたんだ。一週間だったか十日ほどだったか、朝は学生にしては恐ろしく早くて、とても寒いのにクルマに乗せられて現場に行き、そこで水拭き道具ときれいにゴミをこすり取るゴムのワイパーみたいなのがセットで、冷たい水に手をさらし、ガラスを水拭きをする。ゴミが濡れたらゴムでツルリとこそぎ取る。そんなのを延々とやっていくんだ。

公共の建物や学校、開通間近の高速道路のSAのレストランとか、いろんな現場でガラスふきをしたんだ。毎日がとても長くて単調なのと、お昼だけがうれしいのと、朝から夕方までずっと寒いのと、手がかじかむのと、学生には近寄れないいろんな施設でのお掃除仕事を経験した。一度、お昼に仲間ともつ煮定食というのを食べたんだけど、あれが人生最初のもつ煮で、これは肉なのかゴムなのか、それとも弾力性のある変な食材なので、その時のよくわからない味付けで、二度ともつ煮なんて食べないと思うくらい嫌な思いをしたことがあったんだ。

自分の実家の方では、屋台でホルモン焼というのがあって、あれはブヨブヨしたところがまだ抵抗があったけれど、それは食べられたのに、この寒い土地のもつ煮というものは、この世のものとは思えないくらい、とんでもない野生の肉を生のまま食べているみたいな、ケモノみたいな気持ちになって、ほとんどすべて食べ残したことがあった。食べ残すことにはものすごく抵抗があったんだけど、あれは無理だった。

そんなこんなで、バイトが全部終わったら、クリスマスになっていた。イブの夜だった。それまではずっとバイトがあまりに厳しくて、彼女と話もできなくて、それこそ単調な日々だったけれど、その厳しいバイトが終わり、バイト代ももらった。解放感いっぱいだったと思う。

でも、彼女はいなかったんだ。彼女は高校か中学か、そのあたりからクリスマスのイブには町に出て、平安を祈る活動をしていたんだ。自分は、ただそういうことのできる人なんだなと思っていて、彼女が町で祈ったり、歩いたりする活動から帰ってくるのを待ってたんだ。

そして、やっと彼女が帰ってきたころには、待ちくたびれてたのか、バイト疲れか、クリスマスを祝おうなんていう気持ちはあったろうかな。ケーキを食べたのか、記憶にないし、紅茶を飲んだのか、それも憶えていない。ただ、夜の空気をいっぱい身にまとった彼女が、やっと自分のそばにいてくれて、それだけでうれしかっだろうな。

いつものようにお話をして、音楽を聴いて、ミカンなんかを食べて、夜が更けたら、それぞれの部屋に帰って、寒さに立ち向かいながら寝たんだと思う。

そんななかなか二人の時間が持てないクリスマスではあったけれど、バラバラであればあるほど、早く一緒に過ごしたいという気持ちもわいて、すべてはその短い時間に集約されるのだ、みたいな、そんな思いでいたんだろうな。

そして、次の日だったか、翌日だったか、私たちはそれぞれの実家へ帰るべく電車に乗り、それぞれの道をたどっていくことになった。でも、別れがたくって、とうとう東京の上野駅まで行き、彼女が電車に乗って去っていくまで、ずっと一緒に過ごした。あんなにずっと同じ気持ち・同じ空間と時間をともにしたいと思ったのは、あの時が始まりだった。

おかげさまで、どうにか今も、同じ空間と時間を共にしている。いつまでも続くといいのになと思っているんだ。