見出し画像

半世紀前の女子高生

むかし、女子高生なんていう言葉はなかった(はず)。みんな「高校生」というワクの中に生きていたので、特別に「女子」を強調することはなかった。みんなそのワクの中で生きていた。

今の感覚で見たら、「青春真っ盛りの女子高生」だろうけど、当時、そんな風に言われたら心外で、「なんで、そんな変な言い方するの?」と反発しただろう。

今は、「男子」「女子」それぞれの生き方は違っていて、特別なワクにあるような気がする。そんなに気張らなくてもいいと思うけど、短い三年間を思う存分生きるのだという使命感に燃えて、「花の女子高生」と決めるのかもしれない。けれども、彼女たちは、それからもずっと自分たちのスタイルで生きていけると思うので、そのうち「女子高生」としてワクを設けなくてもいいようになるかもしれない。

この写真は、先輩にもらったもので、この人にお会いしたことはありません。処分しないままにずっと机の中に入れていて、取り出して、「よくもまあ、こんなの持ってたなあ、きれいな人だなあ。法隆寺の百済観音に似ているかも!」なんて思ってしまう。

今は、それなりの年齢だろうけど、どうされているのやら。お会いするチャンスは全くないし、世の中には素敵な人はたくさんいるはずさ。

ステキな人たちがたくさんいた。その人たちとは特に関わることもなく、自分も若い時代があって、まともな恋愛もできないし、まともにおしゃべりもできないし、アンバランスな生活をし、そして、不勉強で、生意気で、理想・妄想だけが大きくて、何とも情けない毎日があった。

今、甥っ子がそこから出て行こうとしていて、彼が大学生になれば、私はもうそういう若者たちをどんな目で見て行ったらいいのか、遠くかけ離れた自分とは関係のない人として見なきゃいけなくなるんだろうか。

私は、若い時っていうのが好きなのかもしれない。未熟で、やみくもで、方向性が見えなくて、どこかは突出していて、私なんか足元にも及ばなくて、すごい人たちがいる。そう思うのでした。