見出し画像

Ready For The Storm/Deanta

1995年のDeantaのセカンドアルバムの「Ready For The Storm」というのをここ数日ずっと聞いています。

そして、レディと聞こえなくて、スコットランドや、アイルランド系の人が発音する「ready」に揺さぶられています。

私は嵐のための準備ができています。
どんなことがあったとしても、立ち向かっていくようです。

ものすごく宗教的な意味合いもあるようです。
どんな試練があったとしても、さまざまな苦しみが私に意味を教えてくれるでしょう。

なんていうフレーズもあります。
私たちは、試練に耐えて生きる意味を見つけたりするんでしょうか。


噴火湾を特急でクルッと回っていましたね。

私たちは、何気ないところにつまらない意味を見つける生き物ではなかったのかな。そんなに苦労しないと、生きる意味が見つけられないの?


東室蘭駅だったかな

そうかもしれないし、そうではないかもしれない。
私たちは、自分たちの何気ない毎日を必死になって守って生きてる生き物なんだろうな。

必死ではあるんだけど、そんなに必死な顔をしているのはイヤだし、厳しい環境で歯を食いしばっている自分なんて、あまり想像したくないし、そういう時こそヘラヘラしていたいじゃないの。

甘いかな。甘いかもしれないな。本気を出せてないかもしれない。

でも、私はいつもカジュアルで、気が抜けて、ボンヤリしていたい。

だから、ボケるんだよと言われても、それでも、ボンヤリと生きていきたい。あまり覚悟して嵐に立ち向かいたくないのです。

なのに、立ち向かう曲を聞いているんだね?
何だか矛盾するけど、たったの三枚しかアルバムを出さなかったディアンタという人たちの、優しい歌声を聞いていたくなりました。二十年ぶりに取り出してきて、必死になって聞いてますね。不思議だな。