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強制送還で全てを失った?から、私の人生は始まり地元浜松で起業した

強制送還からの帰国当時、私は26歳になっていたが、アメリカ生活の約7年間を引くと日本の経験は約20年間です。その内の殆どは学生で、日本の一般的な社会とか仕事とかの経験が無く、特別やりたい事もなにもありませんでした。地元で友人の父親が経営する会社に流れで就職しました。

鮎の塩焼き販売店舗

仕事の内容は、屋台で鮎を塩焼きにして観光客に販売する的屋でした。春から夏にかけて、毎日鮎を串刺しにして炭火で焼いて、大声出して客寄せしながら鮎を売りました。冬になるに連れて、的屋の仕事が終わり、浜名湖のシラス鮎専門の漁師として働きました。

漁師仕入時代

この会社では、観光客向けに小さな店舗も持っていました。店舗販売用の商品は自社製造しました。観光客に立ち寄ってもらえるように、近くの舘山寺温泉のホテルに営業に行きました。毎日休む事なく働きました。店頭でのイベントを企画し、自分でチラシを作り、朝の新聞配達員と同じように近所にもポスティングしました。金銭の見返りではなく、楽しい事とやりがいを感じていました。地元の農家からも直接野菜を仕入れるようになり、余ったものは自身で調理加工して販売しました。私は、漁業と農業の中心に居るような感覚で、消費者と毎日対面している中で、農家には生産品に対して消費者からの評価や喜びの声を届け、加工食品としても形を変え、付加価値を付けて販売することの楽しさを味わっていただきました。

浜名センター外観

漁師には朝獲りの新鮮な魚を消費者に届け、調理加工して楽しく食べていただく事の喜びを感じてもらう事に、私自身の喜びと達成感がありました。私の中で、鮎の塩焼きから始まった、漁業、農業、食品加工業への興味関心は高まっていきました。

日本に居る理由を求め起業

 冬は漁師、毎朝漁港に魚を仕入れに行き、店頭での販売。地元の農家から直接生産品を仕入れ、店頭で販売。残ったものは加工して商品化。観光客への営業まわり。ゴールデンウィークからは的屋で鮎の塩焼きを売る。めまぐるしい毎日を楽しみました。

漁師みそパッケージ

そんな生活の中も、私はなんのために日本に帰らされたのか。私にとっての人生の理念・目的・目標・使命について考えさせられました。そこから、日本の食料自給率の向上に貢献する為に、今日本に居るのだと思うようになりました。そして、2014年(平成26年)起業しました。何も無い裸一貫の29歳が、新たなスタートを切りました。

レールの無いゼロからの起業
ただ農業者の熱い想いを伝えたい

 起業した私がまずはじめた事は「草の根コミュニケーション」です。農業者が生産品への想いを語りこだわりや考え方を紹介すると、共感から生産者と消費者の結びつきが生まれます。たとえ小さなことでも、生産や流通に携わる人と消費者が繋がれることで、やがて地域社会を動かすムーブメントになる。これが私の考える草の根コミュニケーションです。

第二回繋農縁祭3

2015年(平成27年)12月1日、生まれ育った故郷、村櫛町の辺りにある浜名湖に面したホテルにて「あこがれ農業・繋農縁祭(ケイノウエンサイ)」というイベントを行いました。日ごろは農作業に明け暮れている生産者が、ホテルの会場の演壇に立ちプロジェクターを背に「生産にかける熱い想い」を消費者の前でプレゼンします。「食」という生活の最も身近であるが、どこか遠い現場の生産者の想い想いの言葉は、多くの一般消費者の方々に感銘を与えました。「このままでは、日本の農業の未来はどうなってしまうのか」ある生産者は切実な問題を参加者に課題定義しました。「農家」や「農業」と聞くと、なんとなく野外での過酷な畑仕事のイメージから、近代化や今の時代から取り残されているというような、ネガティブにとらえる人が少なくないのが現実です。この日は地元の学生から、子供連れの若い奥さんや大学生の子を持つような女性もいらっしゃいました。生産者ひとりひとりの講演を聞いて「農業って、本当はかっこいいんだ」と感じた方も多かったようです。事実、この地域の農業を担う生産者は、明るく生き生きと農作業に取り組んでいます。私は、生産者の話を現場に寄り添い聞きながら、日本の農業を希望の持てる産業にしてく考えを強くしました。

第二回繋農縁祭13

先人達への恩返しの為 
農産物輸出事業に取り組む

生産者と消費者との繋がりや地域内の連携は増えていく中、日本茶の海外販路開拓の依頼が入ってきました。7年間の海外での経験を活かし、直接海外バイヤーに商品を紹介しました。ドイツ、イギリス、韓国、タイ、台湾、香港と様々な国とエリアに行き、海外バイヤーとの商談を重ねました。その時初めて、日本の商品への高い評価と元々のポテンシャルを強く感じました。それは、私の紹介する商品が素晴らしかった訳ではなく、私の商談のテクニックが優れていた訳でもなく、日本ブランドを確立してきた先人たちの偉業の上で仕事をさせていただいているのだという元々のアドバンテージのためでした。

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私は過去の数々の偉業の頂きで仕事をさせていただいている事を実感しました。国内需要を見て食料自給率100%を目指しても達成できない。海外需要を開拓し、300%を目指すくらいでないと辿り着かないと感じ、海外からの様々なニーズを粛々と開拓していきました。

地域の「ひと・こと・もの」 
創造による循環を実現する

  
プロダクトリングとは、生産者のこだわりや想いに寄り添い、その地域の歴史や特徴にフォーカスし「ひと・こと・もの」の背景をストーリーとして地域内の産品に結びつけていく事を意味すると定義付けしました。市場の信用循環を築くには、生産者による消費者に対しての語りかけを増やしていくことと考えました。地域内外の顕在・潜在ニーズをデータにより把握し、適切なタイミングでのマーケットインによる円滑なプロダクトアウトを実現し、需要と供給の循環サイクルを正しく回すことで、地域内の産業の活性化、後継者として人財の育成に貢献することを企業理念としました。

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私は、アメリカ生活で培った最大の感覚は、故郷や日本への誇りと愛着だっ
たと思います。帰国後に感じたのは、思い描いていた誇りと愛着を実感できない自分でした。地域には本当に素晴らしい生産品や産業が豊富にあるが、それぞれが光り輝く環境が整備されていなければ豊富にあっても豊かでは無いと感じました。私たちがフォーカスする「ひと・こと・もの」のストーリーに付随する生産品を地域みんなで応援し合える環境づくりを作りたいと考え、地域内外から得る「需要」という裏付けのある客観的なデータを蓄積し、地域産業の活性化に貢献したい思いで事業を続けました。

小規模産業でも 
世界市場に売り込める 

地域創生の可能性はそれぞれの地域に眠る隠れた資源をどう活用するかだと考えています。今はまだ無いかもしれない、気付いていないだけかもしれない。そんな秘められた「価値」をもっともっと掘り起こし、誰もが平等に挑戦できる環境を作っていきます。海外販路はどこか遠く難しい高いハードルのように思われがちです。しかし、海外からは実際に非常に高い日本産品への興味関心を持たれています。私たちは今まさに、最高の土俵と環境で世界市場に勝負に出られる時にいます。日本市場と海外市場を分け隔てるものはありません。国家間での規制やルールはありますが、今後ますます自由貿易圏は広がっていくでしょう。この根底には、世界全体の持続的に発展していかなければいけないという考えがあるのだと思います。持続的な発展の根底は地域社会の活性化です。昔ながらに根付いてきた産業を途絶えさせることなく、守っていく活動だと考えます。

香港取材

ひとりひとりの個人が世界市場と直接繋がれる世の中になっています。70億人以上の巨大なマーケットに、私たちの産業をもっともっと誇りを持って発信していきましょう。新たな産業創造に挑戦していきましょう。今までは何気なく捨てていた規格外商品や製品、労力と費用を費やして処分していた産品も有効活用で価値を生み出す産業になります。地域間の協力や連携を築き、革新的な発想で開発される数々の産業候補に、挑戦できるチャンスを築きます。「開発」の後に必ず必要なのは「需要開拓」です。私たちは、この需要開拓に勝負をかけています。需要開拓に必要なことは、市場への商品提案(プロダクトイン)と一般消費者に対して購買意欲を沸き立たせられるストーリーを届け購入に結びつける(プロダクトアウト)を総括的に結びつける発想で、市場を循環させる(結び繋げる)事だと考えています。豊富な資源を活用して、豊かな地域づくりが第一次産業の発展に大事なことだと思います。世界からみて日本は有り余るほどの豊富な資源を持っているのです。

諦めないから
最後には必ずできる

私自身の座右の銘は「虚無の中で夢中であれ」です。今は価値を認められない、誰にも気にもとめられない事でも、夢中になって取り組もう。という考えでつくった造語です。価値や理由ばかりを追い求めて行動が伴わないのは非常に残念です。私たちはむしろ失敗から学ぶことの方が多いことは頭では分かっているはずです。それでも行動することに躊躇してしまうのは、今の日本の社会構造ではないのかとも思ってしまいます。

私は人生を「ジェンガ」に例えて考えています。積み重なった長方体のブロックを崩さないように抜き取っていきます。そしてそれを頂上に積み重ね、ブロックのタワーを高めていきます。高くなればなるほどバランスが悪くなり最後には崩れてしまいます。私はジェンガのブロックの一個一個が私そのものだと仮定します。そして誰かの役に立つためにブロックは他の誰かに分け与えるのです。自分のできることはなんなのか、役割はなんなのかを考え、補うように他の誰かのジェンガが崩れないように支えるように尽くすのです。それは、高みを目指す自分自身のジェンガも同様に様々な協力者から支えられて出来ていきます。ただ、どんなに頑張っても崩れることはあります。大事なことは崩れた後で諦めないこと。もう一度最初からブロックを積み重ねてゲームを始めれば良いのです。その時、自分がどれだけ人に尽くせたのか、そして、どれだけの人に支えられているのかに初めて気付くのです。私たちは失敗を重ねるために人生を歩んでいるんだと思います。諦めなかった最後には、必ず今よりもっと素晴らしい景色が広がっています。

私は今、ここに居られる奇跡に感謝します。


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