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見えないものを見ようとする努力

【2人の息子たちに伝えたいこと(17)】

以前、書いたことは、ここにまとまてあるよ!「


僕らの目に見えているものは氷山の一角だ。

世の中には、僕らの目に見えていない、幸せもあれば不幸もある。

一見すると正しいことのように見えるが、実は見えないところでは不公正なことが行われていることもある。

政治家の汚職がらみのスキャンダルなんかは、明るみに出て法の裁きを受けるのであれば、宴席の噂話の一つくらいにしかならないけど、原発の事故隠しみたいなことは、笑い話ではすまない。

いつか僕ら自身にも、火の粉が及ぶことになるようなことは、見過ごしていけないだろう

自分が見えている世界だけを信じて生きるというのは、イノセントな生き方だともいえるが、僕は不都合なことを見ようとしない、すこしズルい生き方なように思う。

そして、そのズルい生き方は、自分自身にとっても「将来のリスクを減らすことができたであろう貴重なチャンス」を失わせることになる。

「見えないものと見ようとする努力」は、「努力して不都合なものをのぞき込む」ということだから、決して居心地が良いものじゃないだろう。

でも、人は「少し居心地の悪いところ」で「自分の生き方を変えてゆくとき」にしか成長しないものだから、人間として成長するためにも、必要な努力なんだと思う。

「健康」に気を使わない人は、自分が見ようとしていない「自分自身の健康状態」から逃げている。

「勉強」をしない人は、自分の知らない世の中の仕組みを知ろうとしないで、実現できたかもしれない「自分自身の可能性」を失っている。

「事業」や「資産運用」の可能性から目を背ける人は、一生涯、「投資家」から搾取される立場に甘んじるしかない。

「安全であること」が当たり前だと、身の回りの「リスク」を知ろうとしない人は、そのリスクが「顕在化したとき」には多くものを失うことになる。

「見えないものを見ようとする努力」は、ますます変化が早く、そして激しくなっているこの世界で、よりよく生きてゆくために必要なことだと思っているよ。

ヒロシ