正義とは、正しさと心の温かみである。
【2人の息子たちに伝えたいこと(16)】
以前、書いたことは、ここにまとまてあるよ!「★」
◆「正義」を疑うということ
誰かが「正義」を振りかざしているとき、そこにはたいてい「私利私欲」がある。
世の中には「絶対的な悪」というのはあまり存在していなくて、その多くは「主義主張が極端に違う当事者同士の争い」だったりする。
戦争の多くは「正義」をふりかざして行われるが、その結果が、弱い立場の子供や女性が犠牲になるというものであれば、その「正義」は間違っているのだろう。
カミユはそのことを「正義は、正しさと心の温かみ」だと言った。
学生時代に読んだ本に書いてあった言葉だ。
この言葉がずっと心に残っているのは、「正義」という言葉を聞くたびに、そこに「心の温かみはあるか?」と自問してきたからだろうと思う。
◆万人にとっての「正しさ」とは?
受験勉強の答えはたいてい一つで、模範解答には「正しい」とされる答えが示される。
でも、人生の問題には、いくつも回答方法があり、どれが「正しい」という基準はないはずだ。
そこにあるのは、選択をした人それぞれにとっての「納得感」だけだろう。
選択をした人がそれぞれ納得していることを、この選択こそが誰にとっても「正しい」ものだと思っている。
世界はそんな人々が集まって構成されているのだから、人の数だけいろいろな「納得の仕方」があり、人々の「正しさ」の基準になっている。
だから、誰かが雄弁に語る「正しい」話は「その人が納得している選択」に過ぎなくて、万人にとっての「正しさ」なのかどうかは、怪しいものだ。
◆「心の温かみ」は人類共通の感情
だから、カミユは「正義」を「正しさ」だけで語ることは、間違いだと感じたのだろう。
そして、「正しい」とされる選択の結果を想像して、そこに「心の温かみ」があるのかを問えと語ったのだと思う。
「心の温かみ」は、言葉を必要としない人類共有の感情だ。言葉が通じなくても、相手の「心の温かさ」は伝わってくる。
◆「資本主義」「市場主義」は「正義」なのか?
今、日本に住む僕らは「資本主義・市場主義」の世の中に生きている。
その選択をし、制度を維持しているのは、僕ら自身だ。
でも、その「資本主義」の結果が「格差の拡大」を持たらし、「市場主義」の結果が「フェアー」ではない取引を引き起こし、搾取が横行している。
そこには「正しさ」はあっても「心の温かみ」は足りていない。
僕らが何かを主張するとき、それが「正しい」と思えることでも、ちょっと立ち止まて、「その選択が引き起こす結果」を想像したいものだ。
そして、その想像される結果に「心の温かみ」が足りないのであれば、勇気をもって再考することが必要なのだと思う。
ヒロシ