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目標にたどり着くには、今、手が届くところをつかんで、登るしかないかな。

【2人の息子たちに伝えたいこと(22)】

以前、書いたことは、ここにまとまてあるよ!「


ボルタリングの選手は、ものすごい速さで、壁をするすると上ってゆく。

まるで、壁沿いに空を飛んでいるようなんだけど、よく見てみると、ちゃんと手が届く範囲のホールド(突起物)をつかんで身体を引き上げている。

あんなに早いスピードで登っているのに、ちゃんとホールドをひとつずつつかんでいることに、スゲーって衝撃をうけるのは、僕だけじゃないと思う。

結局、自分を高みに引き上げてゆくのに「一段抜かし」なんてできないんだなと思い知らされる。

どんなに早く上にあがろうとしても、人はひとつずつ、ホールドをつかむように登るしかないんだね。

目の前にすごい高さの壁が立ちふさがている状況だと、ひとつずつ上ってゆくのは、途方もなく時間がかかるように思えて、登る前から気持ちがなえそうになる。

それでも、原理原則はかわらない。先ずは、今、手の届くホールドを見つけてつかむしかない。


人生100年というけれど、人の人生の長さはそれぞれだ。自分がどこまで登り続けられるかは、神様にしかわからない。

結局、人生というやつは、ホールドをつかんで上り続けるか、どこかで止まるかの2択ということなんだろう。

50代になって振り返ると、僕は、いつも同じペースで上ってこれたわけではないけれど、ずっと手が届くホールドを探し続け、そのホールドに手を伸ばし続けてきたのだと思う。

ある程度の高さまでは登て来たようだけど、いまだ壁の頂は見えず、でも、登り始めたところははるか下方にあって、それももう見えない。

さて、人生100年なら半分くらい上ったのだと思うけど、これから先どうするかと、ふと考える。下を見たり、どこかに踊り場はないかと、右や左を見たりする。

でも、気が付くと、上を見上げて、手が届くホールドを探している自分にも気が付く。

どうすればいいのか、僕にも正解はない。

これからも、たぶん、登り続けるんだろうなと思う。


でも、僕が、50代になっても「そんなもんだ」と話していたことは、

20代の二人は覚えておいてもいいかもしれない。

そういえば、亡くなった、爺さんも、親父も、そんな背中を僕に見せてくれていたように思うよ。

そう、二人は、ただ黙って、黙々と登っていたなあ。

ヒロシ