どうやって追い込んだらよいのかと

ここで、日本型雇用の特性について振り返っておこう。日本型雇用といえば、一般的に終身雇用と年功賃金を思い浮かべるところだが、その背後には、あまり知られていない重要な要素がある。それは、膨大な指揮命令権限と能力開発だ。終身雇用や年功賃金は、戦後企業ごとの労使交渉で労働側が企業から勝ち取った約束だが、企業はただ終身雇用や年功賃金を労働者に保証したわけではない。それに見合った「経済性」を、当然のことながら追求した。

当初年齢ごとに固定されていた年功給は、その後、能力に応じた「職能資格給」へと変貌した。つまり、給与が上昇していく根拠は、労働者の「能力開発」に求められていったのだ。また、その「能力」の内実は、企業が課す厳しい指揮命令に応じることも含まれていた。全国の配置転換、残業命令などなど、日本の企業の命令権限は世界的に見ても極めて強いのである。能力開発と同時に、そうした命令に服することで、年功賃金は企業にとって合理的なものとなっていった。

終身雇用(実際には長期雇用慣行に過ぎないが)についても同様だ。企業は業務の必要な量に応じて社員を新しく雇ったり、解雇したりすることで調整するのではなく、自社内の社員を柔軟に再教育して配置する。こうすることで、より幅広い知識と個々の企業の事情に精通した社員が質の高い労働を提供できる。このように、終身雇用も、柔軟な指揮命令権限があってはじめて成り立つ。

要するに、終身雇用も年功賃金も、能力開発と厳しい命令権限と不可分に結びついてきたわけだ。そして、「能力開発」(自分の成長)と「企業の利益」が同時に追求された場合にのみ、「終身雇用・年功賃金」は企業にとっても労働者にとっても利害が合致する仕組みとなるのである。

では、ブラック企業はなぜ「日本型」にならないのか。その主な理由はすでにみたように、労働集約型の職場だからだ。いくら能力や企業の命令に服しても、それによって生じる利益が「安く・長く」働かせた分そのものであれば、会社はそれを分配(年功賃金)に回そうとはしない。研究開発や製造工程をイノベーションできる製造業と違って、サービス業は直接的に経営者の利益と労働者の利益が対立するのだ。だから、「利益を出すための終身雇用と年功賃金の仕組みで、もっと生産性を上げよう」なる代わりに、「もっと安く、長く働かせよう」「そのためにはどうやって追い込んだらよいのか」ということを真剣に考える経営者が出てきてしまうわけだ。

もちろん、これまでもサービス業が存在しなかったわけではないが、高度成長の中で企業が成長し、多角化経営していたことや、今ほど新卒が就職難ではなかったことなどから、「新卒使い潰し」という現象にはいたらなかった。むしろ、パートのアルバイトを大量に活用することで人件費の圧縮を計ったり、年功賃金で給与の高くなった中高年を「偽装管理職」にして、残業代を一切払わず、長時間労働のサービス残業を強要するといった手段を用いてきた。実際に、サービス業の中高年では過労死が以前から頻発している。

ただし、すべてのサービス業の経営者が完全にブラックな利益追求だけを考えているわけではないことも断っておきたい。中には接客やサービスの質を上げる「高級路線」を目指すなど、長期雇用を前提とした能力開発と企業の利益が合致するように目指す経営者もいる。その一方で、「頑張っていれば報われる」という若者の期待で、「成長できる」という幻想に付け込んだブラックな労務管理を開発してしまった一群の企業があることも事実なのである。

「日本型雇用」の期待に付け込んで、「安く・長く」働かせ、搾取する企業がある以上、日本社会の「雇用モデル」を転換しなければ、いつまでもブラック企業の被害はなくならないだろう。「全員が会社の中核的社員になって、年功賃金をもらえるようにしなければならない」「エリートを目指さなければならない」という固定観念が支配している限り、「ブラック企業の労務管理」は成功してしまうのだ。


(つづく)

今野晴貴 「ブラック企業2 『虐待型管理』の真相」

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