故郷を失ったわたしにとって

わたしは格別これといった原因もなしにホームシックにかかった。しょっちゅう母のことを思い出し、母がわたしのために目を泣き腫らしているのを想像した。わたしは母の一人っ子だった。そのわたしが失踪してしまったのだ。わたしは母に手紙を書いた。言葉は異とした以上に情のこもったものになった。母にわたしは生きていること、元気でいて、つまり健康であることを知らせた。お金は毎日の支出を支弁しうるに十分なだけ持っていること、経済的な点に関する限り将来の見直しは明るいこと、自分の不利になるようなことには巻き込まれていないこと、自分に与えられた運命は百パーセント満足できるものであること。そしてまた、人生には浮き沈みがあり、様々なことに巻き込まれることがあるが、敗れて死の手中に落ちない限り道はこちらの手中にあるというようなことを書き連ねた。――書きぶりは具体性に乏しかった。母はこの曖昧なことばから不安な予感を抱いた。その後母のこの予感をわたしは打ち壊そうと試みたが、ついに果たせなかった。さらにわたしは現在住所不定であり、返事を受け取る方法と場所はいずれこちらから知らせるであろう、と書いた。――父は嘘のにおいがぷんぷんするこの手紙から、わたしは獄舎につながれているものと推測した。――その後、年ごとに両親のわたしにたいする不信は徐々に募っていった。彼らは心のなかでは抵抗しながらも、わたしを悪人と呼ばざるを得なかった。彼らの苦悩は募りに募っていった。そしてついにわたしをないものと考えるようになった。わたしも彼らの疑念を晴らすようなことはなにひとつしなかった。奇妙なことだが、実に奇妙なことだが、わたしも両親を信頼していなかった。われわれはこうしておたがいに相手にたいして罪を犯し、誤解をじょちょするのだった。それでいながら、わたしはしばしば望郷の念に駆られて涙を流したし、今でも涙を流すのだ。母が亡くなったことは知っていた。父も逝ってしまった。父の晩年には、父にとってわたしはすでに死んだ存在だった。わたしは父の死に先立って死んだのだ。しかも英雄としてではなく、父はわたしを若くして人生を完結した者として記憶にとどめることはできなかった。わたしが書く手紙はすべて母に宛てたものであって、父に宛てたものではなかった。想像だが父は一度もわたしを愛したことはなかったに違いない。父はわたしを教育した。わたしにたいして公正だった。父が理解していた限りにおいて公正だが。父はわたしを保護した。わたしは父の自慢の息子だった。父はわたしを自分の後継ぎにするつもりだった。平素の面でも、男性としても、彼の後継ぎにするつもりだった。彼の血を、彼の性格を、彼の行動を継ぐ者に。しかしわたしは彼の期待した者とは違っていた。父は寛容だった。手荒く要求することはなかった。わたしの人間性をゆがめることはしなかった。父はなにが一番わたしのためになるかを理性に問い、ひたすら慎重に熟度を重ねた。わたしの父ほど息子に寛容な父親は少ない。しかしわたしの記憶に誤りがなければ、12歳以降、父がわたしの頭を撫でて慰めてくれたのはたった一度、たった一度だけだった。わたしはしばしば慰めを必要とする傷つきやすい少年だったのに。――この憶測に誤りがあったらいつでも取り消す用意がある。しかしそんなことをしてもだれのためにもなるまい。

故郷を失ったわたしにとって、たまたま行き着いた場所に惰性的にとどまることは、言わば一種の治癒だった。わたしにはなにか樹木のような性質があって、土壌が毒を含んでいなければ、根が伸びてわたしをしっかり大地に固定してしまう。そして葉は緑色を保ち続けるのだ。――わたしがまどろみながら根をおろし続けているあいだは、いかなる変化も起こりそうになかった。

ハンス・ヘニー・ヤーン「岸辺なき流れ」上巻p398

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