戦争を裁くルール⑤

竹田 そうすると、日本国の戦争責任とは、一言でいえばなんですか。

橋爪 1945年まで、日本が理解していた戦争責任とは、戦時国際法を守るという責任だった。東京裁判のカテゴリーでいえば、戦時国際法に違反する戦争行為を命令すればB級、その命令を受けて実行すればC級、こういうことだと思う。戦時国際法は絶対的なものですから、上級機関が正規の手続きにしたがってくだした軍命令であっても国際法規に違反していれば、命令されたとおりにそれを実行しただけであっても責任を問われる。これは、さっきの、権力者が違法なことを命じたらどうなるかという問題に関係します。

竹田 確認したいのだけれど、日本が第二次世界大戦において、そういう国際法規を守らなかった、その点で戦争責任があるということ?

橋爪 明確な国際法上の責任として、そこまでだと思う。日本が戦争を起こしたこと自体は、当時の国際法にてらして合法であったか非合法であったかは灰色だけど、日本は合法であると思って戦争をしている。その戦争をすべきでなかった、というふうに考えるならば、それは法的責任というよりも、政治的責任ではないだろうか。

竹田 橋爪さんの結論としては?

橋爪 すべきでなかった戦争。

竹田 では、法的責任はないが政治的責任はある、ということですね。さっき橋爪さんは、責任というのは行為にともなっている、と言ったけれど、この場合は誰が責任をとることになるんだろう。やっぱり戦争を起こした当事者が責任をとるべきでしょう?

橋爪 それはそうですけど、端的に答えれば、それは日本が国家を運営する能力がなかったということなんです。戦争は、自国にも相手国にもコストの大きい、大変な出来事です。戦争を起こすからには、明確な戦争目的と、どのように戦争を終結させるかという目算がなければならない。そのどちらもはっきりしないまま、日本は戦争をひき起こした。ですから、日本が国家を統治する能力を強化する、これが責任に応える道であるわけです。

竹田 国際社会に対する責任ですか?

橋爪 国際社会に対する責任でしょう。

加藤 たとえば満州事変での中国などに対する責任は考える必要はないということですか?

橋爪 いや、それを含むでしょう。
ついでにいえば、満州事変、日華事変と大東亜戦争とでは、だいぶ性質が違っているように思う。
大東亜戦争は、対英米蘭戦争で、宣戦布告のなされた国家間の戦争だった。その当時、東アジアとその周辺には、独立国といえば日本のほかに、中国、タイ王国ぐらいしかなく、あとは英国、蘭領などの植民地だった。香港(英領)、シンガポール(英猟)、インドシナ(仏領)、インドネシア(蘭領)、マレー半島(英領)、フィリピンは、将来の独立を約束されていて自治政府を組織していたとはいえ、アメリカの施政権下にある植民地だった。そこで、日本が植民地本国とのあいだで戦争を始めれば、植民地に侵攻し占領することは、合法的な戦争行為の一部となる。占領したら日本は、植民地本国の施政権を代行する。日本が非難されているのは、その際、日本軍が施政権をきちんと運用せず、現地住民を保護せず、虐待したからでしょう。

これに対して、満州事変、日華事変は、独立国である中国(中華民国)の一部を切り離して日本の勢力圏下におくことを目的とした陸軍の陰謀にもとづくもの(日本が中国に仕掛けた戦争)で、対米英開戦以降の南方作戦とは段違いに、侵略の名にふさわしいものだと言えると思います。もっとも、満州が中国の一部だと当時人びとにどの程度認識されていたか、議論の余地がありますが。

加藤 僕の考えはね、日本の1931年から45年までの戦争行為は、当時の国際法その他から考えたら、戦時国際法的にはB級、C級というレベルでは責任はあるが、それ以外では、ない。

竹田 それ以外の大きなレヴェルではほとんどないということ?

加藤 うん、存在しない。それ以外というのは、A級つまり平和に対する罪」の侵犯ということだから、たしかに張作霖爆殺事件など、不法行為がたくさんあるけれど、これは、戦時国際法の問題にほかならない。A級で法的責任を構成しようとすれば、「平和に対する罪」をもってくるしかない。しかしそれは十五年にわたる共同謀議でもって日本の政治指導者を罪に問うものですから、事実とは違っている。でも、問題はまさにそこにあるんじゃないでしょうか。
では、あの満州事変以降の中国などに対する侵略の責任が、どうなるのか。橋爪さんが、戦争責任という概念は、東京裁判、ニュルンベルク裁判の「平和に対する罪」、「人道に対する罪」を基盤に生まれたもので、それ以外なかったと言いましたけど、それはそのとおりで、そうだとすると、日本の侵略行為は、その意味で戦争責任なさない、ということになる。だから、あの東京裁判、戦時国際法とは別の問題から、新しく戦争責任という概念をつくることを、この日本の戦後が要請されている。僕たちはここでそう考えるべきなんだろうと思う。
つまり、ここにあるのは、日本のかつての行為を日本国民である自分がどう考えるかという問題です。そしてこれは、学術論文や法解釈の問題ではなくて、日本国民と近隣諸国の国民の関係を基盤として考えるべき問題になってくる。ぼくが日本という国の人間と、非侵略国の人間とのつきあいということを日本という国にとって非常に大事だと思うという判断に立ち、以前相手に悪いことをしておいて、その後の謝罪、責任の可視化というあたりでやるべきことをやっていないことを、自分の審美眼からいって、厭だと感じる。また、規律の意識としてもこれはよくないと思う。そしてこれをどうにかしたいと考える。そんなふうに、現在の生きる経験のなかから、戦争にまつわる責任の問題は、その意味を汲みだしてくる。少なくとも、一般の、なんでもない人間が、この問題に関心をもつ順序はこういうことだ。隣人になんの関心もない、世界がどうなったっていい、と思っていたら、戦争責任なんて考える理由はでてこない。そのことをじっくり考えるべきだと思う。僕は戦争時の日本のアジアにおける行為は、侵略行為だと思っている。けれど、幸か不幸かその時のレヴェルにてらしあわせて法的な網をかけてみると、これは犯罪行為を構成しない。だから、問題は、そのことを理由に、「これには責任がない」というが、逆に、これが責任を構成するような論理を東京裁判の論理とは別に新しくつくり、「これは侵略行為であり、悪なんだ」というか、ということなんです。そのどっちかということが問われている。

(終わり)

加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣「天皇の戦争責任」

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