わたしは絶えず滴り落ちる時間を

わたしは絶えず滴り落ちる時間を、時の流れをひとつにまとめて織物にしたい。時の流れはわたしを捉え、わたしを外へ引きさらって行き、絶えず毒のなかへ、認識しえない生という毒のなかへ沈めた。やがて、わたしのなかで自分自身にたいする嫌悪感が高まった。わたしという被造物の生は、自己保存の本能によって辛くも維持されてきたのだ。嘘は吐きたくない。わたしは普遍化のための表現を見つける能力が欲しい。それがなければ生き続けられないと思われた新たな感情を獲得するために、わたしが快楽の杯をのどが渇いて死にそうな男のように受け取り、啜ったことを説明してくれる普遍化の能力が欲しい。わたしの理性も信念も、個人の運命の恐ろしい歩みに耐えられなかったからだ。見せ掛けの恭順は、回を重ねるごとに、小刻みに震えるわたしの手のなかで壊れていった。嘘を言わないとするなら、自分が、たとえばかつてのトゥータインがそうだったのとは異なる業種の人間であることを明言しなければなるまい。また、わたしにたいしてトゥータインが見せた見事といえるほどの好意的な姿勢と、わたしのために無条件で自己を犠牲にし、おのれの身を汚し、自分の涙を笑いによって抑え、みずからの理性の衣を裏返して無分別を装い、人間として定められたおのれの使命をいかようにも変造に供しよういう意識の表明とによって、わたしは破滅から救われたのだということを明言しなくてはなるまい。そして、彼の友人であるというわたしの僅かばかりの義侠心が百倍も酬いられたということを。しかし、喜びの芽はわたしのなかで一度も花開いたことはなかった。いつも陰気な泥のようなものが心の底を覆っていた。わたしは自分自身から解き放たれなかった。心のなかで罪の赦しは行われなかった。運命に順応することができなかった。黒人や動物は生まれると同時に順応し、賢者や老成しつつある人々は学び取っていくものなのに。絶望の果てには底なしの淵への転落が待ち受けていた。受け止めてくれたのはトゥータインの腕だった。わたしたちの魂は決しておたがいに知り合うことがなかったが、彼の腕はわたしを知っていた。なぜなら彼の腕はそれを欲していたからだ。わたしを助けることだけを欲していたからだ。もしわたしが彼を一度も愛さなかったなら、わたしに愛されたという栄光を有するものはだれもいないことになる。なぜならそこには彼しかいなかったからだ。他の人はわたしにとっては夢と化してしまった。トゥータインはわたしの夢のなかにとどまり、わたしの頭蓋のしたで萎縮することはなかった。わたしがいま座っている背後には一見なんの変哲もない頑丈なつくりの長持がある。この木箱のなかにトゥータインの遺体が入っている。死人を怖がるわたしだが、彼は怖くない。わたしはいまだに彼との一体感を感じている。彼がわたしのもっとも強い部分であり、彼なしではわたしはまったくの弱虫なのだ。彼はわたしの貧弱な素質と体液からひとりの人間を引き出した。その人間は、いくらか躊躇いながらも、生きる冒険に耐えたのだ。

ハンスヘニーヤーン「岸辺なき流れ」上巻p377

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