車谷長吉「ええ目見たい思たら、あかんで。

「ええ目見たい思たら、あかんで。人の一生は一回勝負の博奕(バクチ)やで。いちかばちかの大博奕やで。死の病やで。取り返しはつかへんで。この世のことはどななことでも、も一遍やり直すとか、も一遍、いうことはあらへんのやで。も一遍、歌歌いよる阿保はおるけど。歌は一生に一遍でええねで。小博奕打とうというような、けちなこと考えたら、あかんで。競馬や麻雀や、あななもんはみな小博奕やで。けちな人になりたい、いう風なことだけは思いなはんなえ。顔がくずれるで。」

「柱の陰からをなごを見て、ええな、思とうだけでは、あかんで。柱の前へ出て行かな。半分は肘鉄喰うが。血みどろになるが。ずたずたに引き裂かれるが。それを乗り超えた時が涅槃や。」

「顔のええをなごはあかんで。仁田山やで。浮かべとうで。そら、どないぞ。顔がけっこいと、心まできれいに見えるがな。見てくれのええをなごは、連れ歩くのにはええけどな。ぐうたらやで。ルーズやで。素気無いで。その場その場、わが身に都合のええことだけ言い立てるで。あとは知らん顔やで。をなごは悲しいもんやで。そないせんと、この世を渡って行けんようになっとうやがな。この世の仕組みがそないなっとんやがな。そやさかい、をなごはそないすんねんけど、をなごを悪う思たら、あかんで。をなごは悲母観音やで。このうちをみて見。うちは悲母観音やろがな。あんた具合(ガイ)ええやろがな。朝起きたら、ぬくい御飯も炊けとうし、味噌汁も出来とうし。」

「別嬪さんも別嬪さんやけど、顔の面どいのも面どいのやで。ええ加減なもんやで。うちも鼻ぺちゃやろ。あんたどない思う。え、うちは鼻ぺちゃやがな。情けない。こなな鼻ぺちゃは鼻ぺちゃなりに、絵ェ描いて生きて行くんやがな。顔の面どいのは嫉妬掻(ヘンネシカ)くで。妬み深いで。どななことでも悪うに悪うに思うで。いきなりあんたを刺すで。男に好かれんをなごぐらい、たちの悪いもんはないで、気ィつけな、あかんで。」

車谷長吉「抜髪」

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