とにかくみんな一筋縄ではいかない人たちです

原一男 あの人たちも一見強要されているシチュエーションであっても、ぎりぎりそのなかで、探っているんですね。一瞬のうちに全人生を語ることを強要されているシチュエーションなんだけど、そこで語ることを彼らは選んだと思いますね。巧妙に沈黙を選ぶこともできるんですよ。でも語るべきことがそれなりにあって、ぎりぎりのところまであの人たちは語っている。人間ってやっぱり、どこか語る状況を誰かがつくってくれるのを待ってる人もたくさんいるのではないですかね。

辺見庸 まったくそうだと思う。ステージを無意識にもっているのかもしれない。私もミンダナオの現場へ行ってよかったと思います。カニバリズムというのは、わたしなんかもつい突出したタブーだと考えてしまいます。でも、現場の事自然状況に自分も入ってしまうでしょう。そうするとそんなに突出したテーマじゃねえなという感じもしてきますね。掃討作戦へ行ったじいさまが、自分は間違えて食っちゃったと言うんですよ。それで私はしきりに彼に味のことを聞くんです。食っちゃったら倫理もへちまもないですから。そうすると言うんですね。実際あれうまかったんだという意味のことを。そこまで立ち入るとテーマから逸脱するとは私は思わないんです。軍事法廷にしても、食人行為に対する法廷で、誰も人肉の味には興味を持たないみたいですが、僕はむしろ味の問題としてみるんです。そのとき、食った方の正当化としてでてくるのは、塩分がほしかった、人肉はしょっぱくて塩分を取れるとか。これをひとつひとつ七十歳のじいさまが否定する。塩なんかいくらでも手に入ったと。私が参ったなあと思ったのは、彼がヘラヘラ笑いながら言うんだけど、投降してきたときはみんないい体格しとったと。何が言いたいのかがもろにわかる。
味というのは記憶でしかないのですが、そのじいさまにとっても人肉の味は40数年前の記憶です。で、彼は主観的な記憶に頼っていってるわけですよ。「自分は間違って食ったけど」とまずいう。じつはそれさえ僕は勇猛誇示ではなかったか、故意に食ったんじゃないかと疑ってますが、彼は非常なマッチョで、タイソンというあだ名がある。食ってみせるということぐらいやってるんじゃないか。自分の撃ち殺した日本兵の顎のところを銃剣で切り取っては奥さんのところへ送っていたんですよ。奥さんはそれが嫌で嫌でしょうがなくて、一つ一つ埋めては教会へお祈りに行った。この人は狂ってたのよ、と奥さんは言うんですよ。
そのサレという名の老人は、断片を五つくらい食べて、若い犬の肉みたいにうまいとそのとき思うんですよ。その記憶に頼って、すなわちあの残留日本兵たちもうまかったに違いない、ゆえに食べつづけたに違いない。何度も何度も食べずにいられなくなったに違いない、そういう理屈を言ってるんだなあと思ったですね。そこではじめてこの老人は倫理を越えるところまで考えているんだと思ったんです。
人倫というとことの組み立て方が違う人って結構多いですね、世界には。倫理はつまり、共有できない。ジュゴンにしても、南方熊楠がジュゴンとセックスする人々のことを書いている。船乗りが昔、ジュゴンとやったと。それに、ジュゴンはうまい、だれでも食うわけですよね。罰金取られても、あれはうまい、食いたいというふうになるんですね。そこに、人倫、タブー、禁忌を圧倒するような味の記憶というものがでてくるんじゃないかなと思いましたね。大岡昇平さんなんかは、味の問題なんかに断じてしてないですよね。味の問題にしたら構図が崩れちゃうでしょうけれど、僕は持ちこんでいいんじゃないかと思ってます。あの老人は、自分の同胞を殺して食った人間とも戦後、平気でつき合うわけですが、とにかくみんな一筋縄ではいかない人たちです。これは私の恥ずべき邪推ですが、人肉を食った元日本兵の生き残りの人たちが、日本の何処かで定期的に集まってはいないだろうかと思うんですよ。それで彼らにしかわからない記憶をなぞり、語り合っているに違いないと。だとしたら、それに私はすごく興味がありますね。
それは別に過去を問うということでなく、むしろ興味は「いま」にあるんです。たとえば、あのとき、部隊内の軍医が人肉の調理法を教示しているらしいんですね。いきなり調理すると小便が回っちゃうからまず膀胱を除けとか。その軍医がいま医師であるとしたら、どういうオペをやっているのか、私は何となく見たい。別に彼が人倫を踏みにじっているとは思わないので、人というのはそのぐらいの幅であろうということなんですけど。そして、そのような人物を、私は決して嫌悪はできない、好きになるかもしれないということです。

原 『ゆきゆきて、神軍』の浜口さんという人も、撮影以前に会って話をしたときに、アンデスの山中で飛行機が墜落した事件をすっと引用して、「あれが起きたときには、食ったと私は思いましたね」と言って、そこから話に入っていきましたね。通常、僕らが持っているイメージで言うと、食ったことに苦悩しているはずだ、だからおそるおそるこちらも触れて行くというやり方なのに、いとも簡単に「食ったと思いましたね」と、あっけらかんと話に入っていく。そのときに、こりゃ違うと思いましたね。味のことはそのとき聞きそびれて、それは本番に残して置こうと思ったけど、本番では奥崎さんが変なところで話をまとめたので聞き損なっちゃったですが。

辺見 原さんだったら、可能であればやっぱり食ってみるんじゃないですか。僕も食ってると思う。あの状況だったら間違いなくやってる。それから慰安所にも、僕はさほど悩まずに行ってたんじゃないか、という気がします。つまり、そのような想定でしかものを書けないんです。ダンテを読むような人でも南京大虐殺に加わってたようですが、案外そういう坊主、牧師、神父のたぐい、インテリ、文学者のたぐいの方が、弱い。現場へ行くと、イデーなんてなんぼのもんかいと感じますですね。向こうの経験の奥行きになぎ倒されるようです。えれえや、と。あのじいさまは腹立だしいくらい元気なんですよ。山のなかを歩くのが速いこと、ついていくのに必死。このジジイ化け物じゃないか、内心は仕事をポシャってもいい、おれ、もういいんだ、疲れちゃってんから、こんなもんの記憶なんかどうでもいいから、なかったことにして山下りて宴会でもやりましょうよと言いたいぐらいだったんだけど、本人は「見せてやろう」って、行くんですね。奥崎さん的な人は、世の中にいるんですね。こっちがついて行かざるを得ない。この動機はわからないですけど。


「屈せざる者たち」 辺見庸・原一男

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