ある特定の年

彼女は思うのだが、人間だれしもわが一生をふりかえって、ある特定の年を選び、「あの年こそは最高だった」と言えるときがあるはずだ。楽しいことがいちどきにやってきたような、暮らしやすく、輝かしく、驚異に満ちたシーズン・・・・・・そういうものが、だれにとってもあるような気がする。なぜ物事はそんなふうにいっぺんに起こるのか、それを不思議に思うのは、ずっとあとになってからだ。それはちょうど、十種類もの風味の異なる食品を、いちどきに冷蔵食料室に入れておくようなものであり、おかげでそれぞれの品にはちょっとずつほかの品の風味が移ってしまう。マッシュルームにはハムの味がし、ハにはマッシュルームの味がする。鹿肉にはわずかながら鶉の野生味が移り、鶉にはほんのちょっと胡瓜の風味がする。あとになってそれを思いかえしたとき、ひとはおそらく、ある特定の年になにもかもいっしょにやってきたすてきな出来事が、もうすこしならされ、平均されて起こればよかったのに、そう願うことだろう。たとえばの話、どれかひとつの燦然と輝く出来事をとりあげて、それをどこか、どう考えてもひとつとしていいことのなかった、いや、そのかぎりでは悪いことすらもなかった、そんな三年間のまんなかに移植することはできないものだろうか、と。そうすれば、物事はすべて神様の創造された・・・・・・そしてアダムとイヴとがそれを半分がた台なしにした・・・・・・世界において、そうなるように未来定められたかたちで進行するだろうに。つまり、洗濯物は日向に干され、床はごしごし磨かれ、赤ん坊はじゅうぶん世話をされ、衣類は繕われている、といった、そんなかたちで。いってみれば、イースターと独立記念日と感謝祭とクリスマス、それだけがめだった出来事で、あとはただ淡々と灰色の時が流れつづける三年間、とはいうものの、神様のなされたこと、神様がご自身の行なわれる驚異を演出されるやりかた、それには“正解”というものはいっさいない。そんなわけで、アビー・フリーマントルにとっては、彼女の父にとってそうだったように、1902年こそは最高の年として記憶されているのである。


S・キング 「ザ・スタンド」

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