過労死 際限ない「がんばり」①

過労自殺に至った人は、課せられた業務目標がそのままでは達成できない状況に追い込まれていたことが多い。このような場合、その障害となっている壁が個人の努力だけでは越えがたいものであれば、会社は、人員増やコストアップ、あるいは納期の延長など計画の見直しをすべきであった。しかしながら、とくにバブル経済崩壊後の日本の職場では、コスト削減を追求し、もっぱら個人の「がんばり」に期待して問題を解決するのが当たり前のようになっている。この結果、労働者は、より過重な労働にのめりこむが、事態の改善をはかれず、苦闘するという悪循環に陥り、精神的なストレスが一層増幅して行くことになる。

自殺者が出た場合、周囲の人から「なにも一人で仕事の悩みを抱え込むことはなかったのに」という感想が出される。また「仕事が失敗してもいいから、もっと自分を大切にしていればよかったのに」という言葉も聞かれる。だが、明確にしなければならないのは、日本企業の労務政策は、労働者の際限ない「がんばり」に直接間接に強いることを基本にしてきたことである。

大手広告代理店電通の入社2年目の青年大嶋一郎氏が「常軌を逸した長時間労働」の結果過労自殺で亡くなった事件(『過労自殺』初版第一章3節参照)で、2000年3月24日最高裁判決は、会社側に全面的な損害賠償責任があると認定した。そして同判決後の破棄差戻審(東京高裁)で訴訟上の和解が成立し、電通側が遺族に謝罪の上多額の賠償金を支払って終了した。

電通には、「鬼十則」と呼ばれる有名な10項目の行動規範があり、長きにわたり社員教育の中心に位置づけられてきた。これを信奉する人によって英語に翻訳され、海外にまで紹介されたこともある。この「鬼十則」の第5条に「取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは」という文句があり、私は遺族代理人として、この点について、最高裁の法廷で次のように弁論を行った。

「この目的完遂までいのちを失っても業務を遂行せよ、という趣旨の会社の業務命令に従って、一郎君は、膨大な仕事量をなんとかやり遂げようとして、過重な労働を続けることになったのです。
電通は、先日提出した最高裁への書面の中で、この「鬼十則」は、「訓話として配布して以来、社員の行動規範として位置づけられるようになったが、今日に至るまで強制力を伴って運用されたことはない」「一種の精神訓話ないし心がけを述べたにすぎない」と弁解しています。
「殺されても放すな」はもちろん一つのたとえでしょう。この言葉どおり強制したら殺人罪過疎の共犯です。私は、そのようなことを主張しているのではありません。問題は、まさに、このような精神主義を行動規範として位置づけ、業務上の心がけを説いてきた電通が、一郎君が亡くなるや、仕事がきついのなら休めばよかった、体調が悪いのなら休めばよかった。休まなかった本人に責任があるのだと主張していることなのです。このような会社の態度が許されるでしょうか」

(中略)このような過度な精神主義を強調する社風は、日本の企業にいまなお引き継がれているのである。

ギブアップは、日本の多くの職場では許されないのである。こうした職場の雰囲気の下では、いつまでたっても過労自殺はなくならないだろう。


(つづく)

川人博 「過労自殺 第二版」」

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