幸福のむずかしさ

河合隼雄
もういっぺんちゃんと幸福論を考えなきゃいかんですね。

中沢新一
日本人の幸福論って、ヒルティとかカントとかヨーロッパ系の幸福論を輸入してやってきました。最近はあんまり読まなくなって‥‥‥。

河合 僕はアランなんか読んでたよ。感激しましたよ、学生時代。

中沢 けっこういいこと書いているんですけど。

河合 それにしてはあんまり覚えていないけど、学生時代に読んで、すごい感激した本の一冊です。

中沢 長いこと幸福論なんて考えたこともなかったけど、たまたま今日から考えることにしました。

河合 本当にそうです。日本の社会状況を見ても、そういう責任があると思います。これだけ物が豊かになったときの幸福って誰も考えていないでしょう。貧しいときはわかりやすかったわけです。「金さえあれば」とかつて思っていたわけ。

中沢 山の幸、海の幸になるわけですね。

河合 腹いっぱい食えば幸福や若いときに僕らは思ったわけでしょう。

中沢 そう、そう。

河合 そんな単純でなくなったわけだから。

中沢 何か、人間がやっていることが、どんなものも、いますべて、曲がり角に来ていますでしょう。ずいぶん昔につくられたものをそのまま引きずっているからというのを僕は感じます。

その最たるものが脳の構造でしょう。それがつくられたのが二万数千年前で、その頃は氷河期でした。氷河期でハングリーな時代に無理やり飛躍して、人類はこのような脳を持つようになりました。その脳をずうっと駆使して物理学やったりコンピューターつくったりしてきたわけです。でも、何かそれだと、行き詰まりがいろいろなところで見えてきていますでしょう。

経済システムだって、お腹空かしている時代につくられた経済理論とカ経済システムですすめてきました。そこから「幸福」の問題も考えてきたわけですが、いまもあらゆるものが曲がり角にさしかかっているという印象です。

河合 それを乗り越えるために、いままでの方法をもっと進めようと思うているわけです。

中沢 そうなんです。

河合 だからよけいおかしくなっている。

中沢 日本人の場合はそこで「清貧」とか言ってみたんだけど、あんまり特効薬にならないですね。

河合 「清貧」という言い方はもう実際的には通らない。みんな少しは歓迎するけど、みんなに「やれ」といってもできないしね。無理してやっているとだんだん腹が立ってきたりする。

中沢 これだけの生活スタンダードを持ってて、清貧なんていうのはポーズにすぎないでしょう。

河合 そいういうことにみんなはっとするから「清貧」を冠した本は売れるけど、実際に本当の意味の指針にはならないですよね。

中沢 山頭火みたいにして歩いてても、地下道には空調が利いているわけだし、食堂へ入ったってカロリーの高い食物があるわけですから。

河合 僕は言うてたんだけど、日本のいまの不幸は、みんな自分の人生観以上に釣り合わない額の金を持っている。だから「幸福になるためのその金を全部、僕に送りなさい」と。僕は「日本人幸福促進協会」というのをつくるから、「とにかくみんな何でもいいから金をわたしのところへ振り込んでください。それで日本人は幸福になれますよ」と。僕はみんなの不幸を背負って菩薩みたいにして、みんなになり代わって、お金を使う。

中沢 じゃ、ひょっとしたら、七福神のあの大黒様というのは人の金を背負って、不幸を一身に背負って歩いているから大黒様なのかもしれないですね。河合先生が大黒様に。

河合 そう。そういうのを考えているんだけど、なかなかどうも‥‥‥。日本の文化庁長官になったから、日本人の幸福のためにね。「なんでもええから金を振り込んで下さい、幸福になりたい人は」って言って。

中沢 大黒様と話しているとは気づかなかった・・・・・・。

河合 隼雄・中沢 新一「仏教が好き! 」

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