別役実「犯罪症候群」 浅間山荘事件③

彼等は革命を行なおうと考えた。これはいい。何度もいうようだが、人はたいてい革命を行なうために生きている。次いで彼等は組織を作った。このあたりから問題は二つにわかれてくる。組織は、外在化する政治目標に向って緊張している場合と、構成メンバーの離反を防ぐべく緊張している場合がある。もちろんこれは、構成員個々の、組織に対する対し方の問題だ。図式すれば、「はい・いいえ」一派は、組織というものを、前者のように把えるであろう。そしていうまでもなく「わかりません」一派の人間は、組織を後者のように把えてしまう。どうしてもそうなるのだ。したがって彼等が「わかりません」一派の人間であったとしたら、この組織は、革命のための機能ではなく、革命そのものとしか見えなかったはずである。彼等はほとんど、革命を行なっているがごとく、組織員たることに忠実たらんとしたのだ。当然、規律が生れる。規律を守っているという自覚が、そのまま革命を行なっているという自覚にすりかわる。この時、既にもう外在する政治目標など、目に見えないし、当然不要である。彼等にとっては、規律を守り、組織の一員たることが、既に充分に政治目標たり得てしまっているからだ。

しかし、何事にも人はすぐ慣れる。規律を守ること自体が革命であるためには、規律はそれを守ることが次第に刺激的なものになってゆくようでなければならない。非合法である軍団を作り、それを地下組織にしていったのは、そのためであるといってもいいかもしれない。彼等はそれを作ることにより、より尖鋭的に政治目標に迫ろうとしたのではなく、より困難な、したがってより刺激的な規律を自らに課し、それによって革命を行ないつつあることの実感を高めようとしたのである。彼等は銃砲器店に押入り、武器を手に入れ、銀行に押入り、資金を手に入れた。彼等は、外在する政治目標を獲得するために、それらの武器と資金が必要だったからそうしたのか?そうではない。彼等は、彼等自身の内にある「そうしてはならない」と教える文明に復讐し、そうすることで、革命を行っているという自覚を、持続させたかったのである。

当然彼等の犯罪行為は、敏腕をもって鳴るわれらが官権の嗅ぎつけるところとなり、都市内のアジトは、ほとんど発見され、彼等は追い出された、彼等は組織の機能がおとろえ、外在する政治目標との距離が遠のいたことでなげいたであろうか?そんなことはない。彼等は、公然たる犯罪者の名を得、市民権をハクダツされ、文明総体を見返す立場に立つことで、革命家たる厳粛さを自覚し得たに違いないのである。

もちろんすべてがこのように運んだかどうかは知らない。しかし、もしこのような要素が、時に動いていたら、以後、山中にこもりリンチ事件に至る過程は、ほぼ必然的である。

彼が妙義山中にこもった時、そこには新たな事情が待ち受けていた。ある評論家が、リンチ事件を評して、「都市ゲリラが山中に逃げこんだ悲劇」といったが、当たらずといえども遠からずといえよう。いうまでもなく、「都市ゲリラ」の戦術は、日常空間にどう関わるか、という所から、すべてあみ出されてくる。彼等もまた、都市ゲリラであった時代は、そこに方法の基礎を置いていた。彼等の、組織を作ってから山中に逃げこむまでの過程は、日常空間からの離脱の過程でもあった。その離脱の幅を広げることにより、彼等はより刺激的に、自己の革命的持続を自覚しつづけてきたのである。極端にいえば、そこから離脱しつつあることの恐怖感こそが、その革命遂行の自覚とイクォールであったのだ。


(つづく)


別役実 「犯罪症候群」

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