過労死 基本的特徴②

第五に、自殺に至る過程において、自殺者の多くは、うつ病などの精神障害に陥っていたと推定される。過労自殺者の多くは精神科医師の治療を受けないまま死亡している。「過労死110番」の東京窓口への相談例では、被災者462人のうち105人(22.7%)しか精神科(心療内科含む)の治療歴がないが、自殺後の調査によれば、うつ病など精神疾患に特有な症状を呈していた事例が多い。

過労自殺者は、程度の差こそあれ、事前に体調の不良を訴え、一般内科で受診していることが多いが、残念ながら、多くの人が個の初診でうつ病などの精神障害の診断を受けずに、結局精神科での適切な受信の機会を逸している。また、2000年代以降、うつ病など精神疾患患者の増大によって、精神疾患患者に対する診察経験に乏しい医師が担当することも増えており、過労自殺既遂事例を調査すると、専門的な精神開始から見れば不適切な医療行為もある。

うつ病患者は、その病の症状として希死念慮・自殺企図に至るので、一般に過労自殺の場合には、過労・ストレス→うつ病などの精神障害→自殺企図という機序をたどることが多い。これは、過労性の脳・心臓疾患で、過労・ストレス→脳・心臓疾患→死亡という機序をたどるのと基本的には同じである。
(中略)の多国間

WHОの多国間共同調査によれば、15629件の自殺分析の結果、約95%の自殺者は、最後の行動に及ぶ前に何らかの精神疾患の診断に該当する状態であり、そのうち適切な精神科治療を受けていた人は、2割程度である。

従来から、うつ病は性格類型としてメランコリー親和型の人がなりやすいといわれてきた。メランコリー親和型性格とは、ドイツの精神科医フーベルトゥス・テレンバッハによる呼称であるが、その特徴として職場では責任感が強く、几帳面で、対人関係においては誠実で権威や序列を尊重し、道徳心が高い傾向が挙げられているが、精神科医大野裕氏は、性格そのものではなく性格と環境との相互作用でうつ病のなりやすさが決まる旨指摘している。(中略)

精神科医加藤敏(自治医科大学教授)は、「現代では、職場自体がコンピュータ管理を通し、就労者の間違いを許さない厳密性と完全主義を徹底している。加えて消費者、利用者、お客さんに不都合・落ち度がないよう細やかな配慮を徹底する他者配慮性を前面に打ち出している。つまり、職場自体が完全主義で他社配慮を旨とするようになっている」と指摘し、このような規範を、「職場のメランコリー親和型化」と特徴づけている。

そして、同氏は、「職場のメランコリー親和型化」にあって、テレンバッハのいうメランコリー親和型の人とは違い、人びとは心から共感的に他者のことを慮り、良心的に振舞うのでは必ずしもなく、職場の支持を絶対的な命令として従い仕事に就く、顧客を最優先し、他者配慮的であることを信条に掲げる職場の倫理は、企業競争を勝ち抜くための意図的戦略の色彩が強い。それゆえ、ここでいう「メランコリー親和型化」には「偽性メランコリー神話型化」により、社会人として要求される平均的な几帳面さと他者配慮性を備えた、したがって現代を生きる上でのパーソナリティとしては、ごく正常な人がうつ病を発症する事例が増えている」と述べている(加藤敏『職場結合性うつ病』金原出版、2013年)。

加藤氏は、この結論は、職場関連のうつ病に関する統計学的調査によって裏付けられたことと付言しているが、その内容は、私が過労自殺事案を調査してきた実態とも合致する。

現代は、ごく普通の人々がうつ病を発症する時代であり、したがってまた、ごく普通の働く人々が自殺に至る時代となっている。

第六に、多くの企業は、職場で過労自殺が発生した場合に、その原因を労働条件や労務管理との関係でとらえようとせず、従業員の死を職場改善の教訓に活かさず、遺族に対しても冷淡である。

職場で自殺が発生した場合、本来であれば、企業として、従業員の死という重大事態を真摯に受け止め、教訓を導くために、当該労働者の労働時間など労働条件、労働環境、労働管理、健康管理の状況が適切であったかどうかと検証すべきである。実際のそのような取り組みを実施している企業もあるが、その数は残念ながら非常に少ない。むしろ、多くの企業は、労働条件や労務管理の問題点を棚にあげ、自殺を労働者個人の責任としてとらえる傾向が強い。そして過労に対して、「会社に迷惑をかけた」として高圧的な態度をとり、遺族は「申し訳ない」とおわびをする立場に立たされることもある。自殺の基本的原因作った加害者側が、遺族=被害者側を𠮟りつけるという、誠に本末転倒なことが起きている。

かつてある技術者が失踪した後に、会社が父親から「深くお詫び申し上げます」という念書をとろうとしたことがあった(拙著『過労自殺』初版)、また、別の企業では、労働者が徹夜作業の後に失踪した事案で、無断欠勤が続いたとして懲戒解雇した。そのあと当該労働者は自殺していたことが判明し、かつ、労働者が業務上の死亡であると認定した。

また、企業を監督すべき立場にある労働行政が十分に機能していないことも多く、この結果、過労自殺が発生しても、企業側に真摯な総括が行われず、職場の問題点がそのまま放置されてしまうことが多いのが実情である。もっとも、労基署によっては、遺族の労災申請を受けて労災の調査を丁寧に行い、労災認定を行うと共に、事業主に対して労働基準法・労働安全衛生法違反の是正勧告などの措置を講じているところもある。

第七に、過労自殺は、その実態がなかなか組織の外部に伝わらず、自殺予防対策全体の中でも遅れた分野である。

ほとんどの企業は、職場の矛盾が明らかになるのを恐れ、事実を覆い隠す形でこの問題を処理しようと動く。または、遺族がからの要求等を心配し、偏狭な「企業防衛」対策に入ることもある。

また被災者の遺族は、自殺の原因が仕事によるものだと感じているのだが、そのことをなかなか周囲の人々や社会に向かって主張しにくい現実がある。なぜなら、自殺したという事実が伝わることにより、残された遺族の就職、結婚、生活に悪影響が出ないかどうか危惧するからである。たしかに日本社会全体として、自殺原因に対する理解が不十分で、他の事故死や病死に比べて、自殺者個人やその家族に対し否定的な評価を受けることすらある。

企業が過労自殺の実態を隠そうとするのに加えて、自殺に対する社会的偏見や差別があるがゆえに、遺族が社会や行政に訴えるのは容易ではない。こうした幾重もの事情が重なり、過労自殺は闇に葬られがちなのである。


川人博 「過労自殺 第二版」

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