辺見庸 人と話していると、こちらの意識に思わぬ隙間ができて

人と話していると、こちらの意識に思わぬ隙間ができて、そこを冷たい風が吹き抜けていくようなことがまれにある。いや、まれにではなく、このところしばしば起きている。意識が割れる。これはいったいどうしたことだろうと思う間もなく、言葉が、安っぽいガラス片か品のない色のついたアクリルのチップスのように、あるいは大小のごみのように、意識のなかで乱雑に舞い散らばる。それが眼に見えるように感じられるのだから、とてもではないが、いたたまれない。暗い宇宙にただひとり取り残されて漂っているような孤絶感にとらわれてしまう。意識が破裂した状態のまま、まったくの無音状態が訪れ、数秒か数分間の失語症におちいる。総じて、多く語りすぎるとこうなるのだ。多く語りすぎると、バルトのいう「言葉の損耗」が起きるのかもしれない。だが、それは、おそらくいいわけであって、あまりいいたくはないけれども、じつのところわたしは老いたのではないかとも内心思っている。老い。とくに意識の老い。これがやっかいだ。先日もわたしより二十歳も若い評論家と話していて、いくたびか失語症になりそうになった。わたしたちは日本語という共通言語で話したのだ。彼はがいして「正しいこと」をいう男である。いや、正しいことをいうどころか、正しいことをばかりいう人だ。私はその正しさを漠然と支持している。さらに、その正しさのなかの一、二のことについては、本気で支持している。にもかかわらず、私の大脳皮質の一定部位には電波障害のような不具合が一再ならず生じ、意識はぱくりと割れて、その割れ目から薄い毒汁みたいなものが漏れでてくるのを禁じることができなかったのである。共通言語を、大いに近いとはいわないまでも、かならずしも絶望的に遠いわけでもない価値体系の中で話しているのに、意識はなぜ割れるのか。ふり返ってみると、使用言語は同一でも、それにもたせている語感と重量のちがいというのがあるのかもしれない。たとえば、国家。たとえば、権力。たとえば、自由。それらについて、私はいったん言葉を呑みこんで、わたしの薄汚い臓腑のなかをしばらくへめぐらせてから表現したいと思う。潰瘍だらけの胃壁の間に「国家」や「権力」という言葉をこすりつけ、胃液や胆汁にたっぷり漬けこんでから、語り直したいと願うのだ。私にとって、国家や権力は内面の真奥にある問題であり、どうあっても人間の身体がかかわるからである。一方彼はそれらをあくまでも整然と話そうとする。あたかも身体の外部にのみあるもののごとく。いまは悪い国家、悪い権力なのだけれども、努力して手を加えれば、いつの日か適性なありようが実現できるかもしれないもののごとくに、世界には善い人と悪い人がいて、善い人が多くなれば世の中はずいぶんよくなるごとくに語る。聴きながら、私の意識は割れたまま、ひひひひと笑っている。悪い人、悪い国家を内面に宿した者として、私は声にせず笑う。せせら笑う。おい、俺は骨をごりごりこすりつけるようにして話したいんだよ。俺は汚い肝をでろんでろん絡ませるようにして語りたいんだよ。首から上でへらへら話すんじゃないんだよ。音にせず、そう口ごもっている。その文脈で、右翼の脅迫から身を守るのに官憲の警備を恃むかどうかという切迫したドリルを考える。彼には恃むのが論理的に可能だろうな、と思う。私にはそれが非論理的に不可能なのである。逃げる。逃げられないなら、ど突きあうしかない。ど突きあう。この言葉を何気なく胸に浮かべて、口の端で苦笑する。ああ、古いな、年だなと。眼前の若い男の心の辞書には、ど突きあうだなんて、言葉としても実感としてもないのかもしれないと想像する。若いころ、私は人は見かけによらないと思っていた。いま、人は見かけによると思う。見かけと見かけを裏切る内部とでは、おおむね見かけが勝る。見かけを裏切る人間が少なくなったのかもしれない。正義をそれほど語ろうが、どこか狡そうな眼の色、衒い、上昇願望は見かけから容易に消せるものではない。ふと、私は亡くなった作家の古山高麗雄さんを思い出した。私より二十四歳も年上のその作家とずいぶん前に対談したことがある。思想信条でいえば、古山さんと私はひどく異なるのだが、心の平仄のようなものは、老練な作家がこちらに合わせてくれたのであろうか、妙に合った。表面的思想信条から言えば、私と眼前の評論家はそんなに大きなちがいはないのだろうけれども、精神の生理のようなものは、当然彼も感じているだろうが、別の生物種のように異なる気がする。この男とその信奉者が政権をとったら、というのはあまり面白い冗談ではない。だが、もしそうなったら、そして正しい政策を打ちだしたら、私は結局のところいつか摘発されそうな気がするのだ。「私は下降願望が強くなりまして、落ちぶれるのがいちばんいいんだと考えるようになったんです。女と親しくするなら娼婦がいちばんいいし、社会では下積みがいちばんいい、と」。七十もとうにすぎていたのに、古山さんはそんなことをいっていた。だからどうしたと問われれば、どうということはないと答えるほかない。でも、われ知らず堕ちることの魔力、そして、他者にせよわれわれにせよ、人間の正しさや美点よりも、瑕疵にこそ世界を考えるヒントがあることを古山さんの語りは教えてくれた、古山さんは生きてあっても、有事法制に反対はしなかったのではないかと思う。その点、私は古山さんとまったく相容れない。なのに、古山さんと話しているとき、私の意識は割れなかった。言葉が舞い散らかることもなかった。なぜなのだろう、と思う。作品も人柄も古山さんは飄逸といわれたけど、生身の彼からは、腹をくくった人の凄味というか油断ならない気配を私は感じていた。眼前の若い評論家からは言葉の佳味も凄味も感じない。深い闇をいいあてようとするのに光りの側からのみ抽象するから、実感として納得するものはなく、はい、はい、そうですね、と意識の割れ目から低く応答するくらいしかできない。闇を撃つのは光りじゃなくて、もっと濃い闇なんだよ。心はそうつぶやく。闇に分け入るか、闇に肉薄する言葉をもつことだ、と自分にいいきかせる。それは、口で多くを語ることではない。語ることは、先へ先へと運ばれる「泡のなかに支えられている」(バルト)にすぎないから、やはり、ひとり文として書きつづり、世界の裁きを受けたほうが潔いのだと思う。語りを減らし書くことを増やそう、と決心する。


辺見庸 「いま、抗暴のときに」

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