ヘンリー・ミラー・今日までぼくの身に起こったことは

今日までぼくの身に起こったことは、一つとして、ぼくを破壊するほどのものではなかった。ぼくの幻影以外、なにものも破壊されはしなかった。このおれは無傷だった。世界は無傷だった。明日にでも、革命か、疫病か、地震かが起るかもしれない。同情を、救いを、誠実を求めうる人間は、ただの一人も残らないかもしれない。すでにして大災害が姿を現しているかに思える。いまこの瞬間ほど、おれが本当に孤独だということはありえないだろう。もう、なにものにもすがるまい、とぼくは決心した。なにものも当てにはしまい。今後おれは動物として、猛獣として、浮浪者として、略奪者として生きてゆこう。よしや宣戦の布告があろうと、それはおれの行くべき運命だ。俺は銃剣を取りつっこんでやる。柄までつっこんでやる。強姦がその日の運命なら、いくらでも強姦してやる。猛然とやってやる。いまこの瞬間、この静かなる新しい日のあかつきに、地上は罪悪と苦悩のために眼がくらまないのか?人間の本性のただの一点も変えられないのか?歴史の絶え間ない進行によって本質的に土台から改造されなかったのか?いわゆる人間の本性のよりよき部分によって、人間は裏切られてきたのである。それだけのことだ。精神的存在のぎりぎりの限界までくると、人間は、ふたたび野蛮人のごとく裸にされた自己を発見する。人間が神を見出すとき、いわば彼は、きれいさっぱりとむしりとられたのだ。骸骨だけになったのだ。もう一度肉をつけるために彼は人生にもぐりこまなければならない。言葉は肉とならなければならない。かくて霊魂は渇望する。どんな屑でも、おれの眼にとまれば、おれは飛び込んで行って、それを貪り食う。生きることが至高のものなら、たとえ人食い人種になろうと、おれは生きる。これまで、おれは自分の貴重な皮を貯えておこうとつとめてきた。骨を隠しているわずかばかりの肉を保存しておこうとつとめてきた。そのことに、いまはまいっている。おれは忍耐の極限に達してしまったのだ。壁に押しつめられているのだ。もう一歩も退けない。歴史が進行する限り、おれは死んでいる。もし向う側に何かあるなら、おれは、はねかえさなければならない。おれは神を見いだした。しかし、それでは足りないのである。おれは単に精神的に死んでいるだけだ。肉体的に生きているのだ。道徳的には自由だ。おれがいま別れてきた世界は檻にはいった野獣の見世物だ。いまや新しい世界の夜明けである。鋭い爪をもった、痩せた精神が徘徊しているジャングルの世界である。もしおれがハイエナであるなら、それは、痩せさらばえた飢えたハイエナだ。おれを肥らせるために、おれは前進する。


ヘンリー・ミラー 「北回帰線」

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