たったの二年で
●たったの二年でこの国の思想統制強化
2001年9月5日号
この年にドキッとするような記事に二つ出くわした。一つは時事通信が8月13日に配信した《電子メール傍受システム開発へ=16台を主要本部に配備―警察庁》という記事だ。それによると、警察庁は1999年に成立した通信傍受法(=盗聴法)に基づき、電子メールの傍受専用装置を今年中に開発し、16台を主な警察本部に配備することに決めたという。
装置が設置されるとプロバイダーのサーバーに届くメールは全部この装置を通過し、そのうち「傍受対象者」のメールが自働的に選別され記録されることになる。つまり私もあなたもいったん「傍受退所者」に指定されれば、すべてのメール(もちろん電話もFAXも)が警察の監視下に置かれる。なんともおそろしい時代になったものだ。
これに加えて、もし秋の国会で個人情報保護法が成立したら・・・と思うとぞっとする。元国家公安委員長の白川勝彦氏によると、この法案の真の狙いは政府がインターネットを支配することだ。パソコンを持つ人は誰でも「個人情報取扱事業者」として規制対象になりえるから、警察は「あなたのパソコンから個人情報が漏れているかも」と嫌疑をかけるだけで、そのパソコンに集積されたデータを押収していくことができる。
要するに盗聴法も個人情報保護法も目的は同じ、日本中に張り巡らされた通信網を行き交う無数の「個人情報」を政府が監視し、統制することだ。自分は善良な市民だからよもや警察ににらまれることはないと思っているあなた。呑気に構えている場合じゃありませんよ。すでにこの国では「表現の自由」や「通信の秘密」を保障した憲法21条は無効になりつつあるのです。誰の身の上に何が起きても不思議ではないのです。
そんなひどいことを政府がするはずがないという人には、朝日の8月18日夕刊に載った精神病理学者・野田正彰氏の「『君が代神経症』を病む教師 抑圧強まる学校社会で」という記事をお勧めする。ここには、憲法19条が保障した「思想及び良心の自由」がすでにどれほど失われたかが如実に示されている。
野田氏はこの春から全国の公立学校の教師たちの職場環境と精神状態について聞き取りを始め、すでに100人を超える先生たちにあった。その結果、1999年に国旗・国歌法が成立して以来「この二年間、『日の丸』『君が代』斉唱の矯正を『踏み絵』とする公立小・中学校の教諭への管理抑圧はすさまじい」と感じたという。
東京のある中学校の音楽教師は君が代のピアノ伴奏を校長に命じられた。彼女は「私の考え方の核をなすものにキリスト教の信仰があり、かつて天皇を神とする考えに基づき礼賛にももちいられた《君が代》の演奏をすることは、信仰上の強い抵抗があります」という手紙を校長に渡したが、それでも君が代斉唱の公開練習を強いられ、指導不十分として二度、三度と予行演習を命じられたという。
卒業式当日になって校長は急遽ピアノ伴奏と取りやめ、テープ伴奏に換えた。野田氏はこの教師が「涙ながらに引くピアノ練習に子どもたちの心は震え、その湿った歌に校長も耐えられなかったのだろう」と言う。
京都の中学教師は校長による毎年の脅迫で君が代を弾こうとすると指が震え、胸がつまり、冷や汗が出てくる「君が代神経症」になった。広島ではこの二年間、国歌斉唱時に起立しなかった教師が毎年100人以上処分された。処分された何人かの先生は「同和地区の生徒が一人座っているのを見て、立てませんでした」「在日韓国人の子供がうつむいて一人座っていました。一人にしておくことは私にはできませんでした」と語りながら涙ぐんでいたという。
この新検証を病む教師たちはカナリヤだ、と私は思った。毒ガスなどの空気の以上にいち早く反応するというあのカナリヤである。彼らは天皇であれだれであれ、人間に貴賤の例はないという信念に忠実でしかも同和地区や在日韓国人の生徒の心情を思いやるまっとうな精神の持ち主だ。まっとうで人一倍敏感だからこそ文部科学省や校長による思想統制に耐えられないのだろう。
カナリヤたちの悲鳴が押しつぶされた後に残るのは教育現場の果てしない後輩だ。野田氏は「公立学校教師の精神状態は極めて悪い。『教師を辞めたい』という思いの人は、アンケートで四割に達する。病気休暇、とりわけ精神疾患による休職は増加の一途」だと書いている。
こうした思想統制や情報統制が目指すものは言うまでもなく戦争のできる国づくりだ。やはり99年に成立したガイドライン関連法では日本は米国が起こす戦争に官民挙げて協力する体制を整えた。日本が他国から攻撃を受けた場合に備えた有事法制の整備も小泉政権下で着々と進んでいる。
たったの二年でこの日本の変わりようはどうだろう。作家の辺見庸氏は早くから1999年夏、この国は途方もない間違いをした・・・日本という国は秀でた憲法をもちながら、この基本理念に反する多くの法律をこしらえることにより、自らの憲法を否定し、骨抜きにするという奇怪な自傷行為、自殺行為を続けている」(『私たちはどのような時代に生きているのか』角川書店)と指摘してきたけど、ホントにその通りだよね。靖国神社に参拝する小泉首相の姿を見て「純チャーン」なんて能天気な声を上げている場合ではないのだ。
魚住昭「国家とメディア」
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