戦争と殉死②

●大東塾の集団自決

そして、敗戦直後の東京では、三島が文中にあげている宮城前ほか二カ所で、それぞれ十余人からなる集団が、死を熱烈に追い求めたのだった。

昭和20年22日、愛宕山で尊王義軍の12人(女性も含む)が手榴弾で自爆。
同23日には皇居前で明朗会の12人(女性を含む)が拳銃、木刀、剃刀、毒薬によって自決。
同25日には代々木練兵場(後のワシントンハイツ、代々木公園)で大東塾の14人が割腹自殺。
敗戦を契機とした以上3件の集団自殺のうち、ここでは大東宿のケースについて、やや詳しく述べておこう。

あなうれしいのち清らに今しわれ高天原に参上るなり

いざ吾妹(わぎも)高天の原に参上り天の御柱い行き廻らむ

自決した大東塾生の一人、牧野晴雄の辞世歌である。同じく野村辰夫は次のような歌を残している。

高千穂は天そそるなり細矛千足(くわしほこちたる)の国ぞゆるぎあらめや

久方の日の若者に参ひ昇り寂(ひそ)かに永く御国(みくに)まもらむ

一読してはっきり分るように、彼らは自らの魂を空の上の神話空間に上昇させるべく死を選んでいる。上昇し、そこに留まって、ついに敗戦を余儀なくされた国土の守護神になろうと。心の態度としては積極的に死を望んでいる。生から死へ、ひとつの目的が直線的に設定されており、「いのち清らに」という語句から推察できるように、まるで祭礼、あるいは通貨儀礼のようにして遂行されたところに、この集団自決の特徴がある。彼らの自決は「二五日行事」という決行予定書に基き、「同士の魂を例外なく速やかに高天原に導き入れて下さるよう」との神前祝詞によって始められた。そして、その予定書たるや、

「まるで舞台の筋書きのように簡潔に各人の動作、発言内容が指定され、割腹のための円座における各人の位置の図示も行われている」(橋川文三「敗戦と自刃」、春秋社刊「歴史と体験」所収)

といったもので、続けた橋川は「その綿密な計画性のためか」一人の失敗もなく行われたこの自決が「悲憤慷慨のあげくでなかったことに驚くべき」だと述べている。

自刃に至る経緯について、メンバーの一人、藤原仁が残したメモから抜粋して示しておこう。

「十四日夜先生・藤原、三浦顧問宅訪問、左の情報を得、
①既に無条件降伏は決定。十四日朝敵側に通告、敵側より承諾の返答あり、その後に打ち合わせのため午後三時より閣議開催中のこと。
②今夕従事を期して事の次第を新聞社に通告、明日の新聞に出すこと。
③あす(十五日)午前中に、至尊自らマイクの前にお立ちになる事。
④阿南陸相との連絡十三日午後より切れたること。自刃せるならむ。
(中略)
その他種々の情報を入手、明日の生死も期し難く、先生・三浦顧問今生の別れの挨拶を交わさる。死か蹶起の二途あるのみ。先生すでに蹶起の道ほとんど無きを言われ、三浦顧問は必ず近き中にあるにつき自重されたしと言わる。
帰塾、全員を二階塾長室に招集、非公式に事の次第を報告し謹慎を命じる。十四日夜、庄平先生・野村・藤原種々談合、理論として聖死案濃厚。
〇九日頃より先生の身体異常を呈す。今までに無き事なり。先生いわく『塾の上か郷里の肉親の上か或いはお国の上に何か起るに違いない』と。
(中略)
十五日正午一同ラジオを神前に設け謹みて玉音をお聞きし奉る。申し上ぐる言葉なし。先生この日、一切を籠めて自決を決意するる。神意激しく遂に延ばさる。
十六日午後より塾態度決定のために準同人以上を招集、重要会議に入る」

文中「先生」とあるのは塾長、影山正治の父、庄平のこと。正治はこのとき一兵士として華北にあり、代理として庄平が敗戦に対する塾としての態度を決めたのだった。

ここで注目すべきは、彼らが「蹶起」か自死かの二者択一の前に自らを立たせ、「神意」によって後者を選んだことだろう。

藤原が書いた「自刃の趣意」に、

「岩戸開き即ち維新なくして絶対に聖戦の完璧なし」

という文言があり、続けて、維新が成らないままにたとえ戦争に勝ったとしても「神国日本の真姿」は曇るばかりだ、と述べられているように、彼らのいう「蹶起」とは維新、つまりは現政府打倒を意味していたのである。二・二六事件を最後に、体制のスキ間に固く閉じこめられたようになっていた、いわゆる昭和維新のイデオロギー(天皇を変革のシンボルと見、現政権を君側の奸と見立てて討つ、という図式を共有した)。それを大東塾は、日本の大都市のほとんどが焼野原になってしまった敗戦時まで、かなりの強度をもって保持し続け、最終的に「高天原」に蘇生させようとしたのだった。ひょっとしたら彼らは、どこかに隠れてしまった「変革のシンボル」としての天皇を天照大神に、自分たちを、いずれはその隠れ場所の戸を開くべき手力男命(たぢからおのみこと)に擬して、戦時を過したのだったかも知れない。そして、ここのところが、「降伏拒否」、あるいは、まだその時点では「神」だった天皇へのお詫びといったモチーフで自死を果たした人たちと大東塾の、決定的な相違点である。

前出の藤原のメモをみると、広島、長崎が原爆で壊滅させられたころから、「神意」は彼らに(長老格の影山庄平を通して)しきりに働きかけ始めたようだ。当然、影山はただ受身のままでいるだけではなく、こちらから「神意」を確かめる手続きに着手したのだろう。その結果、

「・・・・・・神を離れ自然世界が神罰を受くることなく、皇国が先ず第一にかく徹底せる神譴にあいたるは皇国先ず覚醒してしかる後全世界始めて覚醒すべき道のままなる深き御神意と拝察し奉る」(前出「自刃の趣意」)

つづめていえば敗戦も神意によることが判明した。維新(国家改造)もやらないまま戦争をした日本人を、つまりは間違った戦争に突入してしまったわれわれを、神は再度目ざめさせようとして、こうした事態をもたらされたのだと。

ここに、昭和初年、社会をしきりに揺さぶった末に圧倒された“維新者”たちの(広くとらえれば死のう団も含めた)、すさまじいルサンチマンの反映を見てとることもできるだろうが、大東塾は示された神意を、きわめて主体的にとらえた。すなわち、自分たちは維新をやろうとしてきたのだから、神がこのようにおっしゃる以上、まず罪を背負わねばならないのは俺たちではないかと。

彼らの自決はだから、まずその罪を清める禊として行われた。自決が整然とした儀礼として遂行されたのはこのためであり、一糸乱れず見事に死んでこそ、身は清らかになり、高天原に昇る資格を得ることができる。これが彼らの考えだった。

「悲憤慷慨のあげくではなかった」と橋川が「おどろいた」大東塾の自決のたたずまいは、ここを起因に醸成されたものだったのであり、メンバーの一人、津村満好の遺書にはこんなくだりもある。

自分は国を誤らせた「宮中府中の奸賊」や重心財閥らを「一刀両断に斬り、皇国維新と聖戦貫徹のためみずから捨石になる」つもりだったが、

「ここに我等深思、直接的行動のいかに低く浅きかを痛記す。それは一に塾長代行影山庄平先生御指導に依るものなり」

おそらく津村は「蹶起」を主張したのだろう。それを翻意させた影山の論理も、さきの「自刃の趣意」に垣間見ることができる。

「剣を取りて蹶起することは一見至高の大義とも思われるも今日このままの状態においては人為人力に更に人為人力を加え、神意に背きし上にもさらに神意に背くものであり、ますます逆効果に至り・・・・・・」

敗戦が神意によるものと判った以上、その敗戦の現実にとやかく介入しようというどんな企ても、所詮「人為人力」の境を出ることはできない。つまりは言葉だけの大義をかかげた争いになるしかない。神がお決めになったことに逆らって、人為自力の悪結果に人為人力を重ねることにしかならない。

神の決定による敗戦?そのことを証す何かがあるのか?

それはわれわれが死ぬことだ。われわれが罪を背負って死ぬ。そのような死を立派に果させてくださることを信じて死ぬ。そのことが証しになるのだ。

もはや空にB29爆撃機の音もしなくなった夜、薄暗い部屋、彼らは向き合って、こんなやりとりを交したのではないかと思う。

「現し世こそ一切の目的である。されば現し世における万全の備え処置を講じ、最も燃焼し切り最も張り切った魂がぶっつり切れて幽界に至る時始めて幽界よりの思いが通るのであり、然らずして幽界にゆきても魂の発動はあらざるなり。吾等息を引き取るまで現世の方向を尽くしかつ方法をまで詳細に検討し続けしはこのためなり」

「自刃の趣意」にはこんな言葉もある。

死が生に(基本的には野放図な)力を吹き込んでいた戦時の現実、統計という、国家の意志の淫靡な記号が示すところによれば「自殺の少なかった」現実についての、きわめて純化された神学的解釈が、おそらくここに証明されている。そしてこの言葉は、大東塾14人の面々の自決が、戦争そのものへの(より正確にいえば幻に終わるしかなかった聖戦への)殉死だったことを物語っている。

米太平洋軍司令官、ダグラス・マッカーサーが、コーンパイプ片手に、厚木飛行場に降り立ったのは、彼らの高天原への昇天の5日後、8月30日のことだった。

この章の最後のもうひとつ、敗戦への殉死例を紹介しておこう。

玉音放送のあった二日後の8月17日、16歳になったばかりの一少女が、疎開先の長野県北佐久郡の農家の一室で自決した。短刀を用い、十文字に腹を割いた後、切っ先で首を突いて絶命に至るという、昔の武士でもなかなかこうはいかなっただろうと思える程の、見事な死に方だった。死んだ少女が体をもたせかけた経机には、東京大空襲で亡くなった父母の位牌が並べられ、遺書には、

「戦に負けた日本には生きたくありません。女ながら日本人らしく切腹して死にます」

とあった。

朝倉喬司「自殺の思想」

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