平和研究

平和は、もしそれが民族指摘・人類学的な現実性を含意しなければ、現実離れした、たんなる抽象概念にとどまってしまう。他方ではまた、われわれが平和の歴史的な次元に注意を払わないならば、同じく平和は非現実的なものにとどまってしまう。ごく最近まで戦争は平和を完全に破壊し去ることができなかったし、そのすべての次元に侵入することもできなかった。戦争を継続するためにも、それを支える人間生活の自立の文化が存続することが必要だったからである。昔の戦争行為は、むしろ民衆の平和に依拠するものだった。あまりにも多くの歴史家たちがこの事実を見落としてきた。彼らの手で、歴史は戦争の物語となって表れている。これはとくに、勝利者や権力者の盛衰を記録したがる古典的な歴史家にあてはまる。だが残念なことに、力ある者たちについて語ることをしなかった側からの報告書として敗者の物語を記録し、消え去った人々のイメージを呼び起こそうとする新しい歴史家たちもまた、貧しい人たちの平和よりもむしろ、暴力に多くの関心をよせている。彼らは主として地下の抵抗運動、奴隷、農民、少数民族、疎外された周辺の人々の反抗、反乱、暴動などを記録し、最近ではプロレタリアの階級闘争や女性の解放運動をも対象としている。

権力を語る歴史家たちと比較すると、民衆の文化を語る新しい歴史家たちには困難な仕事が伴う。エリート文化や軍隊の起こす戦争を取り扱う歴史家たちは,文化域の中央部について記述する。彼らにとって、進軍する軍隊が残した記念碑や石に刻まれた布告、商業通信文、王たちの自伝といった確実な足跡が資料として利用される。だが、負けた陣営を語る歴史家たちにはこの種の証跡はない。彼らが報告するのは、地上から消し去られたものや、敵に蹂躙されたり、爆風に吹き払われたりした後に残る人たちのことである。農民や遊牧の民の歴史家、村の文化や家庭生活の歴史家、女性や幼児の歴史家には、検討しようにもたどるべきは足跡はほとんどない。したがって直観で過去を復元したり、格言やなぞ、歌などに見出されるヒントに気を配らなければならない。貧しい者、とくに女性が残した口頭の記録としては、拷問責めにあった魔女や罪人が自供したものなど、裁判所が記録にのこした調書しかない場合が多いが、最近の人類学的歴史、民衆の文化の歴史、心情や考え方の歴史は、のこっているこれらのものの足跡を明るみに出す手法を編み出さざるをえなくなっている。

しかしこのような新しい歴史にも、戦争に焦点を当てる傾向がある。弱者の姿を、主として敵対する者から事故を防衛せざるを得ない対決のかたちで描き出す。レジスタンスの話は伝えても、過去の平和については、暗に知らせるだけである。闘争や紛争は、敵対する者同士を比較可能な同等の立場にしてしまう。それは、単純な割り切り方を過去にもちこんで、これまでに過ぎ去ったもののすべてが20世紀風に説明できるという幻想をはぐくむ。さまざまな文化も同一化してしまう戦争を、歴史家が話の主題や柱に選びがちであるのはこのためである。いまわれわれに緊急に必要なのは、戦争の歴史よりもはるかに多様な歴史、すなわち平和の歴史なのである。

今日、平和研究と呼ばれるものには、歴史の展望を欠くことが非常に多い。こうした研究の主題は、文化的及び歴史的な要因を取り除いた「平和」である。一見矛盾しているようだが、平和は、いまや希少性の仮定のもとで作用する国力や経済力のあいだのバランスが問題となったときに、初めて学問の対象となった。そういうわけで平和研究は、ゼロ・サム・ゲーム(誰かが、勝って利益を獲得すれば、かならずその分だけ誰かが負けて損をするというような取引を意味する)にとらわれた競争者のあいだの最小の暴力休戦に関する研究にもっぱら限られている。この研究の諸概念は、あたかもサーチライトのように、希少性に焦点を定めている。そこでは希少性の不当な配分の発見が可能である。だが、もともと希少性でないものの平和的な教授、すなわち民衆の平和は、深い闇のなかに置かれたままである。

イヴァン・イリイチ「シャドウ・ワーク」

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