やっていくらであって

「やっぱりミュージシャンは、やっていくらであって、語っていくらではないわけ。だからやっていない間というのはなるべく語りたくないわけよ。別に他の人がどうやってるとかは知らないけど、最近雑誌が増えたせいかな、やらずに語るだけのケースがミュージシャンにどうも多い感じを受けるんだ。別にその人はその人のやり方があるんだからいいんだけど、自分は語ってしまって、そのくせ何もやらないというのはどうしてもいやなのね。ミュージシャンはあくまで、やっていくら、物を作っていくら、だと。そういうことなんだ。そう言うと、『じゃあ、何を作るか語ってくださいよ』っていう人が出てくるんだけど、評論家じゃないからさ、対象から引いてないんだよね。そういうスタンスなの。だから、やっていくらなんだ━━ということをとにかく自分としては分かってるつもりだし、そう思ってる。本当は、やってそれでおしまいなのよ。僕らは」

━━じゃあ、何も語らなくなっちゃうんですか。

「だから、そういうことを踏まえた上で、何を語るか、なんだと思う。もっと簡単に言えば、僕達はよく評論家まがいのことをやらされちゃうんだよね。で、自分がどういうことをやってるかをヌキにして、ちょっと引いて距離をとって語ったということが今までにもあったし、また音楽をやってなかった時にそれをちょっと生業にしてた時期もあるからね。その反省もあってね・・・。だから、いまだって音楽を休んではいないんだよ。ずっと考慮中だからね。そこだね、問題は。そこが結論なの。『オレはやるぞ』と」

「大瀧詠一Writing&Talking」 渋谷陽一インタヴュー ロッキング・オン・ジャパン 1987年4月号

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