別役実「犯罪症候群」 浅間山荘事件②

文明にとって最大の恐怖は、それと時間と場所を一にしたもう一つの文明が存在することである。革命もまた、一つの文明をくつがえし、新たな文明をそれにとってかえる試しみではあるが、文明が革命をさほど恐怖しないのは、それとの葛藤の過程で相互に順応しある可能性を持っているからである。しかしもう一つの文明は、そこに存在するだけで葛藤をしない。いぶり出して「浅間山荘事件」にしない限り、それとの葛藤は期待できないのである。

もし妙義山中にこもった彼等が、自らを革命軍というのなら、確かにそれは革命軍なのであろう。しかしその革命は、現文明をくつがえすべくしくまれた革命ではなくて、現文明の中に、もう一つの文明を存在させるべくしくまれたか革命であった。若しくは、原文明を覆すべく有効な革命ではなくて、現文明下にもう一つの文明を存在させるべく有効な革命であった。革命用語の中に、解放区闘争というのがある。とすれば彼等は、この情報文明下における、真の解放区を創りあげる試み遂行したのであり、その試みは半ば成功したのである。彼等は情報下にいぶり出されて、すべてつかまってしまったけれども、文明におけるこの事件の部分だけは、我々の記憶が続く限り、永遠に白濁した分析不能の部分として、残り得るだろう。それを、我々にとっての解放区と名づけて、悪いわけはない。おそらく、情報文明下における真の解放区とは、そのようなものなのだ。

もちろん彼らが意識的に何をしようとしていたか、ということになると別問題だ。現体制下では、人はおおむね意識的であり得ない。意識的に何をしようとしていたかということと、結果的にどうせざるを得なかったかということの内に、ある真実を読みとらざるを得ない。

彼等は革命を行なおうと考えていた。その革命のイメージがどのようなものであったか、せんさくする必要はない。いってみれば人はすべて、革命を行なうために生きている。彼等は組織を作った。当然組織には規律が必要となる。さらに彼等は軍団を作った。これは非合法であるから地下組織になる。武器と資金を入手するために、強盗を始める。それによって官権につけねらわれ、次々にアジトを失い、遂に山中にこもる。もしかしたら、ここで体勢を立て直してやがては出撃し、何等かの政治目標をねらったのかもしれない。実際にはねらえなくとも、彼等はそう考えていたのかもしれない。これはあり得ることである。それができなかったから、彼等は自分たちの行動を、失敗だと考えているかもしれない。それはまあ、それでもいい、しかし、それでは、成功の部分はどうなる?彼等は、ある意味では見事な成功を収めたのだ。現文明を、これほど脅迫した事件は、かつてなかったのだから。

私は、彼等の思惑にかかわらず、たとえ無意識ではあれ、この「成功」を目指していた要素が、彼等の内に確かにあったと信じている。リンチ事件は、止むを得ず行なわれて結果的に文明を脅迫することになったのではなく、ある意味で必然的に起り、文明を脅迫することをまっすぐ目指していたのだ。それを、これから検証してみようと考える。それができた時、彼等は我々におなじみの「わかりません」一派の人間なのである。あるいは彼等が我々におなじみの「わかりません」一派の人間であった時、それができるのである。

(つづく)


別役実 「犯罪症候群」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?