不幸の姿

彼女は彼に同情した。彼女は彼を信じない。彼が分からない。それでいながら彼の心を満たし補うために彼を完全に理解したいと思う。彼女は彼と同じように快楽を好むが、快楽をもっと遊びとして好んでいる。愛情の激しさで彼に劣っていると感じ、それを嘆いている。彼らが知り合ったとき、彼女はもはや一般市民の偏見を気にしないですむ年齢に達していた。彼女は何人かの男との同棲生活を経験していた。彼女は大切にされた。熱愛された。時おり虐待された。彼女は時が満ちたら別れることを学ばなければならなかった。そしていま、彼女は結婚というものの桎梏を感じている。男女の性の二元性が精神を傷つけ、苦痛を与えるのだ。彼女は彼を愛している。でも彼のほうがもっと激しく彼女を愛し、服従し、謀反を起こし、彼女の心が与えることができる以上のものを求めるので、彼女は過ちを犯す。彼女はそのアンバランスを認識しており、責任を感じているが、心の内では過ちを納得しているわけではない。彼女は彼の味方だ。時おり彼女は彼の手に負えなくなる。彼女は別の男の味を知っている。そんなわけで彼らのたがいの愛は次第に闘いになる。抱擁の幸せは以前にも増して壊れやすいものとなる。彼の愛は年を重ねるに従って増していったが、それは災いに満ちた、偏屈なものになっていた。それは水のように冷たい炎だった。彼は自分が満足していないことを認めざるをえない。しかしもっと深刻なことだと思えたのは、愛する妻にすべてを忘れるめくるめく解放感を味わわせることができない、いや、もはやできないことだった。彼が屈した獣性は救いをもたらしはしない。肉に隠された教えを受けることはない。憧れは最初の日のように生々しい。愛はぱっくりと開いて塞がる気配のない傷口だ。ぞっとするような嫉妬の風が吹き渡る。彼は愛する妻からの離別を願う。たがいに苦痛を与え合っていることは分かっている。しかし自分の愛に逆らうことはなにもできない。女は彼に捧げられねばならない生け贄という役割をますます引き受ける。年々そうなっていく。これが彼の不幸の姿なのだ。

ハンス・ヘニー・ヤーン「岸辺なき流れ」下巻p60

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