別役実「犯罪症候群」 浅間山荘事件④
ところで彼等は俗世間から隔絶された妙義山中にやってきて、まず戸惑ったに違いないのだ。小屋を整備し、食物はここ、武器はここ、他の個人用の荷物はここと、置き場所を決め、食事当番と掃除当番を買物当番を決めたら、あとはやることがない。もちろん、官憲の襲来を怖れての見張りもおいたであろう。軍事訓練もしたであろう。体制を固めて出撃してゆくための政治目標の検討もしたであろう。しかし、それらは彼等にとって何だったか?革命とは、およそかけ離れた事柄だったに違いないのだ。都市内のアジトにあった時、周囲の目や耳を怖れながら武器の運搬を行なったことが、いかに革命的であったか。そこでは「バクダン」と一言発することだけで、それだけで充分革命的緊張を体験し得たのだ。あの一挙手一投足を厳粛たらしめ、一言半句を重大たらしめていた<場>はどうしたのか?その<場>のないところで、彼等はどのようにして革命たりえるのか。彼等はおそらくもがいた。もがくことによって、自らその<場>を創りあげていった。
リンチ事件が始ったのである。一人の男は寝袋の中に居たまま人にチリ紙をとらせたことでリンチされ、殺された。あまりにも極端である。我々にはほとんど想像もつかない。しかし、その場を納得させるに充分な理由ではあったのである。彼等は、他からの強制があったとはいえ、納得してそのリンチに参加したからである。この納得の種類というものが違うのだ。彼等は、それがその男を殺すに足る、十分な理由であると納得したのではない。彼等は、そのようなささいな理由でも、その男を殺し得る厳しさを、自らに課そうとしたのだ。逆にいえば、それほどの厳しさを自らに課すのでない限り、その隔絶された状況のもとでは、革命を行なっているという緊張感を持ちこたえられなかったのだろう。
文明が強制されるもとでそれに叛逆するのは、どちらかといえばやさしい。山の中にこもり、自らの内なる文明に叛逆のツメを立てはじめた時、それはリンチ事件となって表現されざるを得ない。何故途中で逃げ出さなかったのだろう、と多くの人々は疑問を持つ。しかし、一体、誰が誰から逃げるというのか。誰も、自分から逃げるわけにはいかないのだ。いってみれば、すべてが共犯者なのだ。一瞬でも、その<場>に緊張し、そこに緊張することを決意し、それを共有したものは共犯者である。自らを喰いつくし、殺されて、埋められるまで、そこから逃げる理由は成立しない。しかも、それをそうしながらギリギリと、何ものかを構築しつつある、という実感を、すべてが持ったはずなのだ。
彼等の中にキリストはいなかった。すべてがユダの決意をしていたに違いない。キリストと、ユダを含めた十二人の使徒というのは聖書だが、これは十三人のユダという構造である。そして、その意味で完璧に近い。事件が前述したように完成していたら、我々はこれを偉大な神話として、すえながく語り伝えたであろう。
キリストが革命家としてではなく宗教家として語り伝えられたように、この事件の参加者も、宗教的に語り伝えられるべき要素を多く持っている。彼等の特徴は、当然「わかりません」一派の人間の特徴なのであるが、行為への熱心さが態度への熱心さにすりかわってしまう、という点である。何度もいうようだが、彼等が妙義山中にあって、常に熱烈に、外在する政治目標をねらっていたら、当然、リンチ事件は起きなかった。
(つづく)
別役実 「犯罪症候群」
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