大日本帝国の人びと①

橋爪 わかりました。
こんなふうに考えてみましょう。昭和18年か19年に私が徴兵年齢だったとして、家族もあって、それなりにものごとを考えていて。新聞も読んでいて、それで赤紙がきたとする。そうすると、いろんなことを考えると思います。まずまっ先に、戦争に行けば死ぬ可能性があり、死んだあと家族がどうなるかということを考える。それから、この戦争が正義の戦争なのだろうかということを考える。大東亜共栄圏とかアジアの解放とか、そういうイデオロギーがいろいろ宣伝されているが、どうも嘘くさく、実態としてはだいぶ違うようだと考えるかもしれない。戦争をこのまま続けて勝てる見込みもないし、中国の戦線から帰ってきた人たちに聞けば、そうとう非人道的なことを兵士としてさせられる。普通の良識のある市民、社会人として生きることを大事に考えてきた私の生き方とたいへん違っている。実に困ったことだし、いやなことである。だけど、ここで応召する以外、ほかにどういう方法があるだろうか。隣のおじさんも応召して、このあいだ戦死して遺骨が帰ってきた。いま、私が逃げだせば、戦争が終わり平和になるのかといえば、そういうことでもない。いろいろ悩み考えて、それで苦慮の末、やはり戦地に赴くのではないだろうか。
良心的兵役拒否というような制度がある国なら別ですが、少なくとも大日本帝国憲法のもとではそういう規定はなく、すべての人たちがいろいろな犠牲を払いながら、その任務を分担しているわけです。そこから自分だけが下りてよいというふうには、たぶん考えにくいと思う。もちろん、良心にそむくようなことをどれだけ拒否できるかとか、実際問題として戦地でどういうことになってしまうのかとか、情報もなく、いろいろ迷うし困ると思うけれど、しかし応召する以外にないのではないかな。
実際に多くの兵士は、そうやって応召していったのではないかとおもう。それを戦争が終わってから、「あれは侵略戦争であり、その戦争に加わったのだから、それは侵略に加担したことであり、ゆえに有罪であって、その行為には一点の拾いあげる価値もない」というふうに言われてしまったら、これはあまりに一方的で身も蓋もないというふうに思う。この前の戦争のむごさ、悲惨さから考えると、応召したという事柄の重さは、むしろ大きいのではないかとおもう。

加藤 わかりました。でも、そうだとするなら、僕は戦争に赴いた人びとを「戦争に赴いたということをもって断罪するのは断じて間違っている」という言い方になると思います。それだったら問題はない。だけど、橋爪さんの言い方だと、この戦争がどんな種類の戦争であろうと、天皇の命令で「戦争に赴いた人は断じて正しい」ということになるでしょう。

橋爪 それは、いわば現代のルールだと思う。

加藤 だけど、天皇の命令で戦争に赴いた人びとを、「戦争に赴いたことを理由に断罪するのは断じて間違っている」というのと、「戦争に赴いた人は断じて正しい」というのでは、全然違いますよ。なんで「正しい」という言い方になるんだろう。

竹田 それを拒否するのは当時の状況から考えれば確かに非常に難しいと思うけれど、しかし拒否するという立場は原理的にはありえたでしょう。

橋爪 絶対になかった、とは言えませんね。

(つづく)

加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣「天皇の戦争責任」

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