宗教の事件 88 橋本治「宗教なんかこわくない!」

●二本の007映画の語るもの

1970年代の終わり、二本のジェイムズ・ボンド=007の映画が製作公開された。1978年の『007私を愛したスパイ』と、1979年の『007ムーンレイカー』である。「突然なんだ?」と思われるかもしれないが、まァ聞きなさい。
ジェイムズ・ボンド=007と言えば、その適役はスペクターである。オウム関連でこういう言葉を発した人がいた。元公安関係者の佐々淳行氏である。「我々が予想出来なかったのは、日本にスペクターがあったってことなんですね」と、さすがにプロならでは(?)の発言をして、インタビュー相手の真面目ジャーナリスト氏は、いきなりの専門用語に面食らっていた。

スペクターは、無国籍人エルンスト・スタブロ・ブロフェルドの作った“悪の組織”である。007映画でおなじみの“秘密基地”を作るやつである。オウムのサティアン群を称して、佐々氏は「スペクターの秘密基地」と見たのである。がしかし、「それはほんとにスペクターか?」というのが私である。

イアン・フレミングの作った“ブロフェルドのスペクター”は、実のところ「最終戦争(ハルマゲドン)」なんかを叫ばないのである。ジェイムズ・ボンド=007シリーズは、さすがにイギリス人の作家の手になるもので、これはゲーム感覚の“駆け引き・取引”が重要になる。エルンスト・スタブロ・ブロフェルドの作った悪の組織スペクターは、米ソの東西冷戦対立構造をバックにして、そのどさくさまぎれに金儲けをたくらむような“悪い組織”なのである。NATO軍から核弾頭つきのミサイルを盗み取って、「金を払わなかったら爆発させてやる」という脅しをかける(『サンダーボール作戦』)悪いやつらなのである。大金儲けをするために、自分達も大金をかけて準備をする・・・・・・その悪事の大掛かりさ、“本気でやった荒唐無稽”が、大人の遊びとして受けたのである。それがだんだんエスカレートしてきて、「スペクターと言えば大がかりな秘密基地」ということになってしまったが、しかしブロフェルドのスペクターが“金儲け”を考えて、“取引”を要求してくる犯罪者であることに間違いはなかった。スペクターだけではなくて、イアン・フレミングの作った007の悪役たちは、基本的に金儲けだけを考えているマッドな人物達なのである。アメリカ合衆国政府の金塊保管所であるフォート・ノックスの金塊を盗み出そうとしたゴールドフィンガーは、「そんな大量な金塊運べないぞ」とジェイムズ・ボンドに言われて、平気な顔で「運び出さないよ」という。ゴールドフィンガーの狙いは、フォート・ノックスの中で原爆を爆発させ、合衆国の金塊を放射能汚染の使用不能状態にして、自分が所有している金塊の値上がりをはかることだったからである・・・・・・というように“ゲーム”なのだ。

国際的な金相場の攪乱と自分の手持ち資産の値上がりをはかるというのは、いかにもイギリス人の感覚だと思うのだが、しかし、いつの間にか、この“ゲーム感覚”が古くなってしまう。「そんな大掛かりな仕掛けで大掛かりな金儲けを狙わなくたって、金ならもうある」というふうに、ジェイムズ・ボンド=007映画を受け入れる西側世界が変わってきたのである。“金を賭けた大掛かりなアクション映画”は007がはしりだが、やがてハリウッドのアメリカ映画が、いろんなものを作り出す。“スパイアクション”という1960年代にはやったものはもうやらなくなって、1970年代後半の007映画はちょっと落ち目だった。そんな中で大ヒットを飛ばしたのが、シリーズ10作目の『007私を愛したスパイ』だったのである。

この映画に、もうブロフェルドのスペクターは登場しない。悪役は、ドイツ人の大金持ち、クルト・ユルゲンス扮するストロンバーグである。彼はやっぱり秘密の大要塞を作っちゃう人間なのだが、既にして大金持ちの実業家であるストロンバーグは、ブロフェルドのように“金儲け”は考えない“思想犯”を相手にすることになる。なんとストロンバーグは、米ソの原子力潜水艦を盗み出して、それを使って世界を破滅させようと考えるのである。自分のものになった原子力潜水艦を出航させるとき、ストロンバーグはちゃんと「ハルマゲドン!」と叫んでいる。ストロンバーグはなんでそんなことをするのか?彼は地上の文化を滅ぼして、海底都市を作るつもりなのだ。「新しい歴史を作るのだ!」というところが、とってもドイツ人らしいんだが、こういう金儲けを考えない思想犯は、彼が最初である。

彼に必要なのは、金を設けることではなく、「もう設けて持っている金をどう使うか?」だったのである。彼はもう“金を持っている”から、“世界が滅んでも平気”なのである。自分の海底都市による“新しい水中文化の歴史”をスタートさせるためには、かえって規制の陸上文明が邪魔になる・・・・・・だからハルマゲドンを起こす。大国を脅して金儲けをするブロフェルドは、自分の金儲けの必要のために、まだ大国に存在してもいてもらわなければならなかった。「世界戦争勃発の危機」を演出して、ブロフェルドのスペクターは、決して世界を滅ぼそうなんてことを考えていなかったのである。「そんなことをしたら、もう金儲けの犯罪ゲームというものが成り立たなくなってしまうから」である。

しかし、ストロンバーグの登場する1978年に、もうその必要はなかった。ストロンバーグは金持ちだったから、既成社会を相手にゲームを成り立たせようとするような必要がなかった。だから彼は、ゲームのルールそのものまで滅ぼしてしまおうとした。そういう人間だからこそ、原子力潜水艦を三隻も腹の中に飲み込める巨大タンカーなんてものを持っているし、またそういうマッドな設定でもなければ、“巨大秘密基地”などというもののリアリティが疑われるような時代になっていた。ストロンバーグのハルマゲドン計画は失敗したが、この新しいパターンの007映画は大ヒットした。そこで、次の年の『007ムーンレイカー』の出番になる。もしかしたら、オウム真理教のハルマゲドン計画は、これに近いのかもしれない。

今度の悪役は、フランス人のお金持ち実業家、ミシェル・ロンズデール扮するドラックスである。ドイツ人のストロンバーグが「新しい歴史を作る」のに対して、フランス人のドラックスは「新しいアダムとイヴによる新世界の創造」を目ざす。美男美女ばっかりを宇宙ステーションに連れてって、地球をアマゾンの植物から採った毒ガスで滅ぼしちゃう。“美男美女による新しいアダムとイヴ”というところがいかにもフランス人の発想だというところが、こういう映画を作る人のシャレっ気でしょう。

ところで、いったいこんな話がオウム真理教事件に何の関係があるのか?

もしかしたら、全然関係ないかもしれない。ただ「007私を愛したスパイ』と「007ムーンレイカー」が公開された1970年代の終わりに、麻原彰晃は20代の前半だった。30代中頃の幹部連中は10代の終わりだろうし、もっと若い一般信者は中学生だ。こういうのを、「カッコいいな!」とか「スゲーな!」とか思いながらリアルタイムで見ていたという可能性はある。「マッドな大金持ちが世界を滅ぼして」という007映画は、この1970年代の終わりの日本だけなのだ。残りの007映画は、みんな「金儲けを考える悪いやつ」である。(ついでに意外なことを言ってしまえば、スペクターが大掛かりな秘密基地を作った例は、『007ドクターノー』と、日本を舞台にした『007は二度死ぬ』の二回しかない。日本は、スペクターが秘密基地を作れるほど、“未開の孤島”のようなものだった)


(つづく)


橋本治 「宗教なんかこわくない!」

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