村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」 痛み

私が死を決意した原因はまさにその苦痛でした。痛みでした」と加納クレタは言った。「とは申しましても、私が言う痛みとは純粋に肉体的な痛みのことです。単純で、日常的で、直接的で、物理的な、そしてそれ故により切実な痛みのことです。具体的に申し上げれば、頭痛、歯痛、生理痛、腰痛、肩凝り、発熱、筋肉痛、火傷、凍傷、捻挫、骨折、打撲・・・・・・そういった類の痛みのことです。私は他人より遥に頻繁に、そしてずっと強くそのような痛みを体験しつづけて参りました。たとえば私の歯には生まれつき欠陥があるようでした。私の歯は年中どこかが痛んでいました。どれだけ丁寧に、一日に何度も歯を磨いても、どれだけ甘いものを控えても駄目なのです。どれだけ努力しても虫歯になってしまうのです。おまけに私は麻酔があまりうまくきかない体質でした。ですから歯医者は私にとっては悪夢のようなものでした。それはどのような説明をも越えた苦痛でした。恐怖でした。それから生理痛もひどいものでした。私の生理痛は極端に重く、丸一週間というもの錐でもねじこまれるみたいに下腹が痛みました。頭痛にも襲われました。おそらく岡田様にはおわかりにならないと思いますが、これは本当に涙が出るくらい苦しいのです。一月のうち一週間、私はそのような、まるで拷問のような痛みに襲われていたのです。

飛行機に乗ると、気圧の変化でいつも頭が割れそうになりました。耳の構造のせいでしょうと医者は言いました。耳の内部が、気圧の変化に敏感なかたちをしていると、こういうことが起きるのだそうです。エレベーターに乗ってもそうなることがよくありました。だから私は高層ビルに行ってもエレベーターに乗れないのです。頭がところどころで裂けて、そこから血が吹き出すんじゃないかというくらいの痛みに襲われるのです。それから、朝に目がさめると起き上がれないくらいきりきりと胃が痛むということが少なくとも週に一度くらいはありました。何度が病院で検査をしてもらったのですが、原因らしきものはみつかりませんでした。ひょっとして精神的なものじゃないかといわれました。しかし何が原因であろうが、痛いことにはかわりありません。でもそんなときにも私は学校を休むわけにはいきませんでした。痛みを感じるたびに学校を休んでいたら、ほとんど学校になんか行けなくなってしまうからです。

どこかにぶつかると、それは必ずあざになって体に残りました。自分の体を浴室の鏡に映してみるたびに、私は泣きたいような気持ちになりました。体のいたるところに、痛みかけた林檎のように黒いあざが残っていたからです。ですから人前で水着姿になるのが嫌で、物心ついてからほとんど泳ぎに行きませんでした。それから、足の大きさが左右で違うせいで、新しい靴を買うたびにひどい靴ずれに悩まされることになりました。

そのようなわけで私はスポーツというものをほとんどやりませんでしたが、中学生の時に無理やり人に勧められてアイススケートをしたことがあります。そのときに転んで腰を強く打ったせいで、それ以来冬になるとその部分がずきずきと激しく痛むようになりました。太い針を思い切り打ち込まれたような痛みなのです。椅子から立ち上がろうとして、そのまま転げ落ちたことが何度もあります。

便秘もひどく、三日か四日に一度の排便は苦痛以外の何ものでもありませんでした。肩凝りもそれはひどいものでした。肩が凝りますと、その部分はそれこそもう石のように固くなりました。じっと立っていることができないくらいそれは苦しいのですが、横になればなったでやはり苦しいのです。昔何かの本で、狭い木の箱に何年も人を閉じ込めておく中国の刑罰の話を読んだことがありますが、その苦しさはおそらくこんな感じのものだっただろうと私は想像しました。肩凝りのひどい時には私は、ほとんど息をすることもできませんでした。

私はまだいくらでも私の感じた痛みをならべることができます。でもいつまでもこんな話を続けても、岡田様も退屈なさるでしょうから、適当にやめておきます。私がお伝えしたいのは、私の体はそれこそ痛みの見本帳のようなものだったということなのです。ありとあらゆる痛みが私の体の上に降りかかってきました。私は何かに呪われているのだと思いました。誰が何と言おうと、人生というのは不公平で、不公正なものなのだと私は思いました。もし世界の人々が私と同じように痛みを背負って生きているのだとしたら、私にだってまだ我慢できたと思います。でもそうではありません。痛みというのは非常に不公平なものなのです。私はいろんな人たちに、痛みについて尋ねてみました。でも誰も真の痛みがどういうものなのかなんてわかってはいませんでした。世の中の大多数の人々は、日常的に痛みなんてほとんど感じることなく生きているのです。そのことを知って(それをはっきりと認識したのは中学校のはじめの頃でしたが)、私は涙が出るほど悲しくなりました。どうしてこの私だけが、こんなひどい重荷を背負って生きていかなくてはならないのか、とわたしは思いました。できることならこのままあっさりと死んでしまいたいと思いました。


村上春樹 「ねじまき鳥クロニクル」

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