戦争を裁くルール①

竹田青嗣
天皇の戦争責任を考えるというときに、「いま自分たちが考えるべきか」ということと、「当時の状況のなかで天皇に戦争責任があったと言えるかどうか」ということとは、大きなつながりがあるけれども、ぴったり同じではない。で、いま自分たちが天皇の責任を問うというときに、どういう問いが可能だろうか、というところまで話をすすめなくてはいけないわけだけれど、その前提として橋爪さんは、いまの時点から歴史をさかのぼって、つまり現在の基準から「これは悪かった」というのはおかしい、といっている。戦争責任を問うときは、その現場地点に立たなければいけない、というニュアンスが強い。しかし、加藤さんは、それとはちょっと違う戦後のあるいは現在の視点というものを提示しようとしている。その違いの意味をもう少しはっきりさせておくのがいいと思いますが。

加藤典洋
時間的な軸足の問題だよね。橋爪さんは当時の時点での像を復原しようという。僕は、その復原しようというモチーフが現在から来ている事をそこにくわえ、二重の観点でみなくちゃならないという。現在の観点というのは、こういうことです。たとえばある不法行為が行なわれて、それによって不利益をこうむった人間がいる。その場合、この不利益にたいして当事者が賠償要求をしないと、過去の行為についての責任ということは生じない。僕は、その賠償要求、つまり異議申し立てがずっとあることが、責任という問題が活きつづることの条件だと思っている。
つまり、戦争責任というのはあまり感情的になったらいけない。冷静に、当時の状況のなかでのこの行為が妥当だったかどうか、という媒介項をおいて考えないといけない、という竹田さん、橋爪さんの強調点はわかるし、僕も賛成だけども、それだけでは、戦争責任の問題は半分しかとりだされていないんじゃないだろうか。不利益というか、理不尽なことが生じた場合で、「これはおかしいよ」と誰かが思う。そのときの「おかしい」と思った感覚が、場所を変え、姿を変え、中身すら変えて過去から現在まで引き継がれてきている。それを外して、それとは別の観点から問題をみるだけでは、そのことが問題であることの半面が消える結果になると思う。
たとえば、戦争の死者が死後に、彼らに断りなく一方的に人間宣言した昭和天皇に裏切られた、という言い方がある。でも、その戦後の時点には、死者は当然いないわけだが、裏切られる主体は存在しない。むろん裏切られたと思うのは、想像のなかででしかないわけです。でも、たとえば三島由紀夫のような人間が、それを自分の問題として引きとる、ということがある。もし戦争の死者たちがここにいたら、彼らはどう思うだろうか。そういう想像がつねに存在しうる。僕は、責任とかコミットというものは、そういう時間的な構造を持っていると思うんです。そういう一定の過去から現在に続く時間の幅のなかで結像する問題は、その時代の了解の水位の復原というやり方では、消えてしまうと思う。つまり日本が50年以上も前にしたことについて考えるという場合では、一方で、その時点での正確な関係の像を復原するという作業が必要だけど、もう一方で、そこが現在までのつながりに生きているものを確保することも大切だ。そういう場合には、いくつかの木橋を接いで、ジグザグに大きな川を渡るような、そのつどそのつどの小刻みな媒介が必要です。その媒介で、それぞれの木橋をどうしっかり繋ぐか、ということが課題になってくる。

竹田 加藤さんにとっての媒介はなんですか。

加藤 戦後日本の国民とアジア近隣諸国との関係、戦後の国民と戦前の死者の関係、また戦後の主権者たる国民と新しい象徴天皇との関係、こういうものをどうつくりあげるかという課題をつねに手放さないことです。たとえば、昭和天皇の戦争にまつわる責任はどんなふうに過不足なく確定できるか、ということを戦後の国民が、昭和天皇の死後も、もしそれが明らかにされていないなら、明らかにしていく。そういうことが過去を現在の問題にし、また未来にもつなぐ媒介にもすると思う。

橋爪大三郎
加藤さんが言うように、責任(誰がどう間違ったか)を追求する作業を継承することも、あっていい。しかし私は、それよりも、正当性(誰が正しかったのか)を追求する作業を継承することの方が、本筋だと思う。マイナスだけではなく、プラスとマイナスの両方をつなぐのでなければ、大日本帝国と日本国との関係を解けないのではないだろうか?
でも、それには準備がいるので、もう少し、大日本帝国の実像をあぶりだす方向へ、議論を進めてみましょう。
さきほど、権力者が出現して、暴力装置、軍隊、警察を持った国家が現れてくると言ったわけだけれど、それがあちこちで現れてくると、それぞれの共同体は自分たちの王(権力者)を持ち、自分たちの軍隊、警察、自分たちのルール、法律を持つことが権利となる。そして、しばしば共同体の利害は対立するから、古代をみてもそうですけれど、共同体同士の戦争が起こる。それに応じて、戦争を防ぐための外交や、国際関係も生まれてくる。

そこで、軍隊というもののあり方をよく考えてみると、これは非常に不思議な存在で、共同体の内部と外部では行動規範があべこべになる。共同体のなかでは殺人をしてはいけないし、社会の善良なメンバーでなくてはいけないし、親であり子であって、通常の生活をしている。しかし、それが組織され指導系統をもって、その共同体から外へ出ていくと、別の共同体ではなにをしてもよい。敵を殺せば、むしろ名誉になる。組織内に相手を殺害し、物資を強奪し、領土を拡大する。こういう特別な存在なんですね。軍隊は、共同体の外では、いわば合法的に不法行為をすることができるという存在であり、そういう存在を軍隊と言っているわけです。

そうすると、責任を考える時間軸も、共同体の内と外では違ってくる。ある共同体の内部での不法行為であれば、時効という法理があるでしょう。たとえば五年とか十年とか三十年と語ったならば、過去のことは水に流して、ある人が悪いことをしても、そのことはなかったことにして、ふたたび同じ共同体メンバーとしてやりなおそうではないかと決める。それは共同体の内部でならできるわけです。

加藤 うーん異論もあるけど、いいでしょう。

橋爪 しかし、たとえばユダヤ人・対・ペリシテ人とか、ユダヤ人・対・バビロニア人とか、ルールを異にして、しかも対立している民族が戦争を繰り返している場合には、時効というものがある必要がない。たとえば、私たちが農村を奪われて山あいに追い込まれてしまったのは、二百年の戦争であいつらに負けたからであって、この恨みは子々孫々まで決して忘れないと固く結束して、千年であれ恨みつづける。民族間の紛争というものはそういうもので、そこには時効という考え方がない。だから、かりに日本がある侵略行為をはたらいて、日本としてはもう裁判は終わったし、戦後の日本になったし、日本の共同体の内部ではこの問題は解決した、というつもりでも、対外的には解決していないということはありうる。こういう時間の違いというのがあるのではないだろうか。

加藤 なぜそれが時間の違いになるのかな?

橋爪 たとえばユダヤ民族の例などは典型例ですが、二千年前にある土地に政党に居住していたのに、そこを奪われた。だから、そこに帰る権利があるということを、自分たちの結束の基軸にすえて、それは行動するグループがありうる。

加藤 時効というのは僕の理解では、同じ共同体に属して三十年も五十年も経っているのに、いつまでも責任を追及しているとうまくいかないので水に流しましょうというのではなくて、共同体の代わりに法を人体にする社会が生まれてはじめてそこに現れた。逆の考え方なんじゃないかと思うんだけど、どんな不法行為でも、されたほうが責任を追及することを怠り、一定期間たてば、これをした法の責任は追及できない。その責任から解放される。請求する行為によって時効を中断しないかぎり、たんに自分は債権者だという権利に安住していると、ついには債権を喪失する、というのが時効のロジックだ、という名高い指摘が丸山真男の『日本の思想』にでてくるけど、この考え方でいいんじゃないかな。むしろ村的な共同体的な社会では責任追及がどこまでのんべんだらりと続く、ということがあって、それへの歯止めとしてきた考え方だと思う。すると同質社会では、恨み、対立にかえって歯止めはないんじゃないだろうか。

それに、近代以来の状況で、戦争が起きて共同体と共同体がぶつかりあうときは、侵略も不法もないでしょう。侵略や不法という概念がでてくるには、両方に共通項となるルールがないといけない。それがないときは、ただの殺し合い、征服し合いです。これを昭和天皇の話とつなぐのには、どんな媒介があいだに立つのかな?

(つづく)

加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣「天皇の戦争責任」

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