「利害の対立」に基づく階層分化の明確化

そしてそうした社会の誤解と、経営者の「安く・長く」戦略の橋渡しをしているのが、ブラック企業の労務管理を指南する弁護士・社労士・人材コンサルタントなどから成る「ブラック士業」である。
「安く・長く働かせるいい方法がありますよ」
「大量に採用して選別競争を仕掛けたらいいんです」
「精神的に追い込んで、会社のことだけしか考えられない状態にすればいいんです」
「法的にはこうすればリスクヘッジができますよ」
と、彼らは言葉巧みに経営者に語り掛ける。

生産性が上がらない労働集約的な業種が、持続可能な「ほどほどの働き方」に転換していくような雇用改革は、日本にとって急務の課題となっている。

このために必要なことは、「階層化」を認めることだと私は思っている。日本では「階層」や「区別」を嫌悪する傾向がある。「一億総中流」という幻想、「誰でもエリートになれる」という機会平等主義がその象徴である。だが、現実には労働集約的な仕事が現に多数存在し、社会に必要とされているということは動かしがたい事実なのである。

「全員が中核社員」「全員がエリート候補」には原理的になることがない。普通に生きていく代わりに、普通以上の対価はない。使い潰されない「ほどほどの働き方」と、「真のエリート」の働き方が明確に区別される社会を目指すべきだ。そして、企業も「全員にチャンスがある」という幻想を与えることやめ、より明確に階層化した雇用を提示すべきだ。

柳井会長兼社長や渡辺美樹氏と、店舗の店長は「立場」が違う。彼らは「経営に責任を負う側」と「決まった業務を適切に遂行する側」で利害が対立している。一緒に成長し、ともに利益を分かつことは、原理的に困難だということを認めることが「スタートライン」になると私は思う。

ところが、階層化と「格差」は違うことに注意してほしい。格差とは、現実に存在する階層の間の差を指している。階層化したからといって、その階層間の格差が大きくなるのか小さくなるのかは、社会によって違う。階層を明確にしたうえで、階層間の利害を政治的に調整し、格差を縮小しようとするのが欧米流の社会だといってもよいだろう。

階層が覆い隠されている日本社会はある意味では、こうした政治的な利害調整が不明確な、「非民主的」な社会だといってよい。「利害の対立」に基づく階層分化の明確化は、格差縮小の「民主主義戦略」といってもよいのである。

逆に、階層は存在せず「みんなの利害が同じだ」という前提に立つ言論状況は、「全体主義」の発想に近づいてしまう危険をはらんでいる。そうした状況では、本当は利害が対立している経営者に対して、普通の若者は「労働時間が長い」「時間当たり賃金が低すぎる」という意見を思いつくこともできなくなってしまうのだ。

だから、利害の違い、立場の違いを明確にし、尊重することが民主的になる。「利害が違う」からこそ、「自分の立場にとって必要なことは、持続可能な労働時間です」と明確に主張できるようになる。対立軸がはっきりしていることは、差別でも悲惨なことでもない。階層を明確化し、その立場を守ることで、ブラック企業のまやかしも通用しなくなり、ブラック企業の暗躍も防止できるのだ。


<了>

今野晴貴 「ブラック企業2 『虐待型管理』の真相」

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