人間の掟

驚き、感心しながらファルテンはエーギルを見た。
「おまえはトゥータインに弟子入りしたね」とようやく彼は言った。「いろいろ勉強したね。神学者たちもこの難問には手を捩(よじ)ることだろう。無駄使いされた無用な精子は、それがなり得たであろう姿で天国へさすらう。素晴らしい考えだ。どうしてそうじゃないと言えるだろう?あの場所にかつて生きていた十億の二十億倍の魂を収容する余地があるならば、二千億倍の魂でも混雑しないだろう。宇宙はあらゆる天文学的な数字に耐えるのだ。ましてや神性となれば。わたしたちはどっちみち観念の競技場に立っている。わたしたちはまだ自分自身の死を見たことがないから、預言者や狂信者や説教師の戯言に曝されているんだ。――しかし、おまえは自分の言葉にもう少し慎重でなければいけないよ、エーギル。人間の掟は憐れみを知らないからね。だれも知らない「あの男」を冒瀆;すると犯罪者なるような国にわたしたちは暮らしているのだ。少数派は正しくないと考えるのが一般的な考え方だ。その点ではすべての権力者たちの意見は一致している。そしてそれと同時に、すべての人が立派な民主主義者とみなさなければならない。それに従って統括され、国家の基礎が築かれるのだ。裁判官の判断もこの観念に縛られている。そして歴史は大なり小なりの征服者たちの口述に基づいて記録されている。むろんそんなことは行われていないと否定するだろう。しかし権力があれば、否定したり、誠実な質問を禁じたりすることは容易だ。神は反論を許さない。それは牧師も信者も神のために使命を授かっていると思っているからだ。そして彼らができることは、歴史ですら抑えつけることはできない。彼らはなんでもできるのだ。

ハンス・ヘニー・ヤーン「岸辺なき流れ」下巻p52

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?