戦争を裁くルール②

橋爪 国際法に関係してくるんだと思うけれど、国際法は徐々にできあがってきたものだから、古代にはなかったと考えるならば、戦争の場合には無法状態になって、やりたい放題になるようにみえる。

でも古代でも近代でも、戦争はまったくの無法状態というわけではなかった。戦争では通常の場合と違って、戦闘行為によって、生命、財産に侵害を与えても個人請求権が生じないという特徴がある。たとえば敵が上陸してきて、味方が迎え撃って、軍隊が畑の中を走り回って、それから家を壊してしまって、財産や生命が損害を被ったとしても、相手国がやったにせよ自分の国がやったにせよ、それに対しては国内法に基づく損害賠償請求権は生じない。これは古代からの慣習だと思う。その点が第一。

それから次に戦争に関する国際法が発達してきた・戦争があまりめちゃめちゃであってはならないので、ルールを守ってやりましょうという、慣習であれ、合意した条約であれ、そういうものが徐々にでてきたと思う。しかし、つねにあったわけではない。たとえば騎馬民族が農耕地帯に入ってくるような場合には、全面的殺戮戦とかジェノサイドとか、どんなことでもありえたんだと思います。

竹田 この話の橋爪さんの力点はどこですか。日本という国家の戦争責任が「あるのか/ないのか」という話につながるのかな。

橋爪 1931年から45年までの間、どういう法規範に国際社会が従い、またどういう法規範が国内的に認められていたのかということを測定したいわけです。いま言っていたことに、近代国際法の発展が段階的に重なっていくわけであって、まず19世紀の末に第一回ハーグ国際平和会議が開かれ、戦争放棄が慣習法ではなくて条約として成文化される。それにくわえて、第一次世界大戦のあと、1928年のパリ不戦条約が締結された。これが段階なんじゃないかと思う。

竹田 そういう流れにてらしてみると、次の戦争における日本の国家の戦争責任というのはある?あるいはない?

橋爪 国家には戦争責任があるけれど、天皇にはない。

竹田 それはいまの流れで言えば、どういうことになるのかな。軍隊はいろいろなことをしたけれど、その軍隊のしたことについても、いわゆる当時の時点で戦争責任と言えるものはなかったということですか?

橋爪 実は、「戦争責任」という言葉自体がたいへん新しいものですし、また曖昧な概念ですから、とりあえずこの言葉はしばらく使わないことにしたらどうかと思います。戦争責任という概念は、第二次世界対戦後、ニュルンベルク裁判、および東京裁判のなかで連合国が使っている概念(「平和に対する罪」)をいいかえたものだと思う。

加藤 戦争責任を追及されたA級戦犯というのは、侵略戦争の共同謀議者ですね、捕虜虐待などに適用するB級、C級の戦時国際法とは違う「平和に対する罪」の該当者だから、東京裁判、ニュルンベルク裁判以前には、法的には存在しなかった。だから、そういう概念としての戦争責任は一応カッコにくるむことにしましょう。ぼくも基本的なところから話をくみたてていくと、僕と橋爪さんの共通項は1931年、あるいはその前からでもいいけれど、日本の少なくとも対アジアの戦争行為には、やはりきわめて問題があった、ということになる。つまり僕は、対アジアの戦争行為には侵略という言葉に対応する事態があった、と認めている訳ですね。そして僕の理解では橋爪さんもそういう意味で認めている。だけど橋爪さんは、国に責任があって、天皇にはないという。僕は、国に責任があるかぎりで、天皇にも責任があるという。僕がそういう理由は、橋爪さんは反対のようですけど、やはり天皇が政治的主権をもった統治者だったからです。それに軍隊を統帥する、いちばん上の責任者だったからです。もちろん、当時の状況と照らし合わせて情状酌量すべき点がたくさんある。けれど、ベースは、この「責任がある」であって、そのうえで、でも当時の状況にてらすと、その総量はそれほど大きくはなかった、という話になるのではないかと思う。その過不足ない像は、どういうものだったか、それを取りだしたいというのが、僕の考えですね。

(つづく)

加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣「天皇の戦争責任」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?