大日本帝国の人びと④

橋爪 戦死者の内実ということなんですが、ふたつの考え方に反対したいと思うんです。
ひとつは、軍部が悪く、軍部が国民を操作し、国民を騙し、そして戦争に参加した人たちは騙されて戦場に連れだされて死んだ犠牲者であり、彼らに罪はないというもの。私は、こういう考え方はしたくない。なぜかというと、もちろんいろいろ情報が不備だったかもしれないけれど、彼らは精一杯に判断し、精一杯にコストを担うつもりで、主体的に積極的に戦争を担おうと思って戦場に赴いていると思うのです。そこまでの決意がなければ、あれだけ厳しい戦地で、絶望的な状況で、戦線をもちこたえたりするなんてことはありえないわけですよ。だからそういう意味では、たいへんに主体的に参加している。騙されたという言い方は、彼らの人間性を冒瀆するものです。
しかし、もうひとつ、逆にどういうことを私は言いたくないかというと、あれは大東亜戦争だった。アジア解放の戦争で聖戦で正しかった、彼らはそれを真に受け、そしてそういうイデオロギーに鼓舞されて、尊皇主義者ないし天皇主義者として、そういう人間として戦地に赴いて死んだんだと。こういうふうにも私はまったく言いたくない。大部分の兵士たちは、そんな宣伝がでたらめであり、いい加減であり、軍部の指揮系統もどうしようもなく、まったくめちゃくちゃで、自分たちは犬死のようなものだと思いながらも参加したんだと私は思う。
そのふたつの中間に戦争を担った人びとの実体があった。疑念や不満を持ちつつも義務をひき受けた人びとの信念があった、ということを言いたいのです。

加藤 でも、それだったらこの書き方は違うと思う。僕には、この橋爪さんが書いた「天皇の命令で、戦地に赴いた人びとは断じて正しい。それは、公民としての義務である」という二行は、小林よしのりが言っていることと同じに読める。小林氏が言っているのは、「断じて間違っている」ということのまったくの裏返しでしょう。でも、「断じて正しい」という言い方と、「断じて間違っている」という言い方は、両方とも間違っていますよ。

そもそも、天皇の命令で戦争に赴いた人びとを、その事実でもって非難したり、ほめたりすることが間違っていると思う。その行為が、どのようなその人の判断の結果だったかはわからないし、後から述べるように、僕たちはそうできるほど戦争の死者たちのメタレヴェルに立っているわけでもないからです。いまの時点から、国民としての義務を果たしたそのことを理由に批判する、国民国家批判の論者たちの批判がありますが、それは完全な転倒だと思います。なぜなら、そこに批判されるべきことがあるとしたら、それは国民としての義務を果たしたことではない。近代国家の成員がその成員としての義務を果たすことは、その権利を享受することとの関係でとらえられるべきことです。その否定すると、近代国家のなかでの個人の権利の正当さという観点までが根拠を失ってしまうことになる。もし、その国民としての行為に批判される点があるとしたら、その理由は、そのことではなくて、その義務遂行の行為が同時に国家を超えた近代の原理にてらして不正を含む行為だったからです。大事なことは、国民の義務を果たすことと、それを越えた人間としての正義不正義の観点の双方を手放さずに、その重層的な関係性にいつも敏感であることです。そして両者に対立が生じた場合には、より広義な国民の義務、つまり僕の言う公民の義務ですが、それに立って、その不正を正すように努力することです。とはいえ、それは国民としての義務と対立しているのではない。僕の考えでは国民の基層には公民性があるので、そこでは狭義の国民の義務に抵抗することが広義のより深い国民の義務に従うことだという関係も生じてくることになる。とにかくここでは国民を批判することによってではなく、むしろ国民の名で、国家の不正を批判する回路を作ることが肝腎だと思うのです。

でも、国の不正が、そこに生きる国民に自主的に判断されるだけの材料がそもそも与えられないということもあります。僕は第二次世界大戦時の日本はそういう事例だったと思います。その場合、大多数の国民がその点で戦争の性格を把握しそこなったこと、間違ったことには、動かしがたさがあったと考えるのが妥当じゃないでしょうか。したがって、僕たちが考えるべきことは、戦争の死者についていうなら、彼らの行為や「正しい」と評価することでも「間違った」と否定することでもなく、その彼らの「間違い」を、動かしがたさの相で受けとめ、これに学んで、今後は同じ状況におかれても、この難関をクリアーし、誤らないようにする、という仕方をつくりだすことだと思うんです。

三百万の死者は犠牲者だという言い方と、それは英雄だという言い方と両方あるけど、本当はそのどっちでもない。死者たちをなんとか救い出そうとして、この死者たちはこういう死者たちだったと一方的に決めてしまうと、それはやっぱりまずいという気がする。

(つづく)

加藤典洋・橋爪大三郎・竹田青嗣「天皇の戦争責任」

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