村上春樹「ねじまき鳥クロニクル」 家庭

僕はそれを聞きながら相槌を打っていた。おおよそ半分くらいしか聞いていなかったけれど、話をきくこと自体は別に嫌ではなかった。話の内容はともかく、彼女が食卓で熱心に仕事の話をしている姿をみるのは好きだった。家庭、と僕は思った。その中で僕らはそれぞれに振りあてられた責務を果たしているのだ。彼女が仕事場の話をし、僕は夕食の用意をして、その話を聞く。それは僕が結婚する以前に漠然と思い描いていた家庭の姿とはかなり違ったものだった。でも何はともあれ、それは僕が選んだものだった。もちろん僕は子供の頃にも自分自身の家庭を持っていた。しかしそれは自分の手で選んだものではなかった。それは先天的に、いわば否応なく与えられたものだった。でも僕は今、自分の意志で選んだ後天的な世界の中にいた。僕の家庭だ。それはもちろん完璧な家庭とは言いがたかった。しかしたとえどんな問題があるにせよ、僕は基本的にはその僕の家庭を進んで受け入れようとしていた。それは結局のところ僕自身が選択したものだったし、もしそこに何かしらの問題が存在するなら、それは僕自身が本質的に内包している問題そのものであるはずだと考えていた。


村上春樹 「ねじまき鳥クロニクル」

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