摂理の計算間違い

彼はわたしたちが滞在した数年間で、あるとき次のように言った。その言葉ゆえにわたしは彼を忘れることができない。彼はこう言った。「神の創造は人間を計算に入れてなかったのです。人間は神の創造が事前の準備をする前に、突然どこからともなくやって来ました。人間の狡猾さは神の創造の知恵よりも大きかったし、いまでも大きいのです。こうしていまや心臓や肺は様々な骨に守られて、われわれ人間の胸のなかに、様々な動物、馬、ラクダ、象、牛、猫、狼、鰐、キリン、亀、そして魚の胸のなかに収まっています。そしてわれわれが腹のなかに持っているのもまた、押し潰そうとして愚鈍な手で攫んでも攫むことはできません。しかし神の創造は人間の手をまったく考えていませんでした。人間の知力を考えていませんでした。神の創造は数年間後れをとりました。あそこに雄の動物たちが歩いていますね。神の摂理はあの動物たちを誇りにしているので、華麗な、姿かたちの美しい、繁殖力に満ちあふれたものに創りました。ところが神の摂理が誇りをもって公開したものを、人間はナイフと鋸と素手と歯でもって絶滅させるのです。氷山の海に棲息する近づき難い幻想的な鯨さえも船で追いつき、銛の作業で彼らの体を引き裂くのです。――まさに神の創造の、そして同時に神の摂理の計算違いでした。ときどきわたしは人間に悪魔が取りついていて、嗾(けしか)けているような気がするのです。なぜなら人間は悪魔に身をゆだねているほど性悪で、愚かであると同時に狡猾であるとは、ほとんど信じられないからです。悪魔が人間の耳もとにいるのです。さもなくば人間の脳の組み立てが間違っているのです。しかし、悪魔のせいでないとすると、いったいわれわれはどうやって改善を期待すべきでしょうか?」――教区牧師は彼の考えをそれ以上詳しく述べなかった。しかし、その目は孤立無援感と同時に、強い決意に燃えていた。彼がひとりの若者としてまだ苦悩とおそろしい情景に鍛えられていなかった頃には彼の目にはどのように燃えていたのだろうか!――こうして彼は、遅れをとり、人間のずるさを克服できず、そのせいで人間を至るところで荒廃させている神に仕えることを決心した。彼は救うことができない人々、改宗させることのできない人々、彼自身よりも躊躇(ためら)いなく自らの神を捏造する人々によって食わせてもらうことになるだろうと知っていた。――彼は自ら選んだ道を歩んでこの谷までやって来た。他のどこへ彼は連れて行かれるべきだったのだろうか?最高の偽善者たちが技術とか進歩とか人間性とか、あいも変わらず仰々しく言っているどこかの町へか?浮浪者保護施設や病院を建てることが、それらが強制収容施設や刑務所とかわらない代物であるにもかかわらず、隣人愛の仕事と見なされるどこかの町へか?しかし肝要なのは、真の正義を欠いていつも済むように、つねにただ社会を無秩序状態と疫病から守ることなのだ。最下層の最も卑しい人々の飢餓は、富める人々にとって恵みをもたらすものではない。囲いこまれた貧困、医者や官僚たちの協議の対象となっている貧困は、危険なものではないのだ。――

ハンス・ヘニー・ヤーン「岸辺なき流れ」上巻p614

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?