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「留学したら?」とママ友が言った

#あの会話をきっかけに

36歳のとき、6つ上の夫が病気で死んだ。私はいきなり男の子2人、女の子2人、合わせて4人の子供を抱えたシングルマザーになってしまった。

当時私は社員100名足らずの会社で正社員として働いていた。正社員と言えば聞こえは良いが、年収は300万に届くか届かないか。残業しなければ月の手取りは20万にもならない。だから夫が残したわずかばかりの遺産と遺族年金を合わせても、この先子供達を育て上げることができるのか、皆目見当もつかなかった。1人でもギリギリなのに4人を大学まで出すことを考えたら気が遠くなりそうだった。

私は男女雇用機会均等法が施行され、育児休業法が整備されようとしていた80年代の終わりに大学を卒業し社会人となった。ほどなくして結婚し、1年後に長男が生まれた。あれよあれよという間に2人目が生まれ、3人目が生まれ、4人目を妊娠したとわかった時にはさすがに焦ったけれど、薄給でもその会社に居続けたのは、ワーキングマザーとして働き安い雰囲気があったからだ。子供ができても会社には何がどうでもしがみつく、絶対に仕事を続けるんだと思っていた。

「ロコさん、海外に留学したらいいんじゃない?」

夫の葬儀が終わって1ヶ月ぐらいの時、ママ友が不意にこんなことを口にした。

「カナダとかいいと思う。子供達を連れて行けば英語も身につくし、バンクーバーとか住みやすいし」

私は、この人一体何を言っているのかしらと思った。上は13歳から下は4歳までの子供4人を連れて、海外に留学しろって? そんな無茶なことできるわけないじゃないか。私はアメリカにだって出張でほんの数日行ったことがある程度だし、観光旅行すらしたことがないし、英語だってろくに話せないのだ。大体、夫が亡くなってまだひと月である。そんなこと考える余裕なんかない。

でも、彼女がそんな突飛なことを言ったのには理由がある。彼女自身、母国の韓国から日本に留学し、そのまま日本で結婚して今は東京で二児の子育てをしていた。彼女と親しくなってから、彼女の妹や友達、さらにその親戚の人たちと交流する機会があってわかったことは、韓国人は海を越えるフットワークがめちゃくちゃ軽いということだ。子供の教育目的でアメリカやカナダやオーストラリアなどの英語圏に移住するのも珍しくない話だった。話半分に聞きながらも、私は父親を失った自分の子供達をバイリンガルにすることは、確かになかなかできない贈り物ではあるなと思った。

私は考えた。今、手元には一時的にせよ、これまでの人生で見たことのない額のまとまったお金がある。これを私費留学に使ったらどうだろう?無謀すぎる?妊娠出産を4度繰り返しても辞めずにしがみついていた会社を辞めることになるんだよ。辞めて留学して、戻ってきたら仕事あるの?そもそもどこに留学するの?当てはあるの?大体英語もろくにできないし、受かる大学なんかあるの?

翌日から会社では仕事どころではなくなった。仕事をするフリをしながら、ひたすらネットで子連れ留学に関する情報収集をした。韓国人のママ友が言った何気ない一言は果たして実現可能なのか、そうでないのか。自分と少しでも近い境遇の人がいないか、目を皿のようにして探した。これはと思う人を見つけたら、メールや手紙で手当たり次第に相談した。

情報収集を続けてひと月ほどたった頃、私は結論を出した。留学しよう。アメリカに行こう。大学院で修士号を取ろう。語学留学では意味がない。学位をきちんと取って自分に箔をつけよう。そうすれば食いっぱぐれは防げるだろう。

そこから怒涛の英語の勉強が始まった。子供達がくんずほぐれつ遊びながら発する奇声を背中で聞きつつ、家事もほったらかしで黙々とTOEFLの勉強をした。GREという外国人には超難易度の高い統一試験が免除される大学院に絞ったから、とにかくTOEFLの点数さえ基準を満たせばなんとかなるのだ。仕事と保育園の送り迎えと家事の合間に英会話教室にも通い、3ヶ月後にはかろうじてTOEFLの最低基準を満たすまでになった。そしてアメリカの東海岸にある大学院に書類を送り、合格した。

会社に退職届を出して、留学することをママ友に伝えたら、しばらく音沙汰がない間に物事が急展開していたので、彼女はびっくりしていた。まさか大学院に行くとは思っていなかったらしい。でもとっても喜んでくれた。それからさらに数ヶ月後、私は子供達4人を連れ成田からアメリカに飛びたった。

2年間の凄まじい留学生活が終わり、私は外資系企業の営業職として東京に再就職の口を得た。亡くなった夫が残してくれたお金はあらかた遣ってしまったけれど、これからは自分の力で子供達を養っていけるということに心底ほっとした。

あれから16年がたった。私は10年勤めた外資系会社を辞めて独立し、会社を立ち上げ仕事を続けている。子供達は皆成人した。たった2年のアメリカ生活ではもちろんバイリンガルになどなれはしなかったが、高校受験、大学受験と日本の教育システムの中ではかなりの恩恵を受けたようだ。上の2人は結婚し、長男は一児の父親となっている。
私自身も50歳の時に再婚した。コロナ禍の今年、今の夫は軽井沢に家を買い、2人で静かな生活を送っている。

ところで、アメリカに行ったのを機に、あのママ友とは自然消滅のような形で音信不通となってしまった。度重なる引っ越しで連絡先もなくしてしまいSNSでも彼女の名前は見つからない。「ロコさん、海外に留学したら?」というあの一言がなかったら、今頃私は何をしているだろう? 今も当時の会社で薄給に喘ぎながらきゅうきゅうと仕事をしていただろうか。

彼女にもう一度会って、ゆっくり話がしてみたい。そして感謝の気持ちを伝えたい。











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