【第5回】秋田スズキ 石黒 佐太朗 専務「秋田愛:県民幸福度ランキング最下位の地方創生への挑戦」(前編) ~呼ばれたら飛んで行く「地方創生」屋さん~
地方創生DXコンサルタントとして活動していく中でご縁があり株式会社猿人様主催の「自治体DX 友だちの輪」にてコラムを掲載させていただいておりました。
こちらのコミュニティが昨年度で終了したとのことで今回、猿人様よりこれまで投稿していた記事を私のNoteで掲載する許可を頂きましたので投稿していきます。
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こんにちは、地方創生DXコンサルタントの廣瀬です。
これまで三回連続して島根の地方創生リーダーのインタビューをご紹介してまいりました。まだまだ島根にはご紹介すべき方々がいらっしゃるのですが、今回は一転秋田の経営者をご紹介したいと思います。
秋田スズキ 石黒 佐太朗 専務です。
「秋田の若手経営者でどなたにお会いするべきか」と県内の経営者にお伺いすると必ずお名前の上がる経営者です。私もお付き合いいただいて数年来になりますが常にご自分を叱咤激励しながら、人をそしてご縁を愛し、秋田スズキのみんなのために・地域のために、を考えていらっしゃる紳士で精力的な経営者でいらっしゃいます。
今回はそんな石黒専務にとっての秋田そして秋田の地方創生って何でしょうというテーマでお話を伺ってまいりました。
▼秋田スズキ採用情報
筆者にとってはお話をお聞きしている間感じたことは、自分の故郷をどう捉えるのかという視点において忌憚のない真っ直ぐな思いでの気持ちの曖昧さ、そしてご経験を積まれる中でどの様に地域を大切に思うように心を育てていくのかというロールモデルを石黒専務からお聞きできたと感じております。では、本編です。
筆者:専務、今日はよろしくお願いします。
石黒専務:なんか改まって緊張しますね。もっとビシッと決めてくれば良かった。
筆者:いつもビシッとキマってますよ。キメられすぎると私が貧相に見えちゃうのでやめてください。
石黒専務:またまた。ありがとうございます。
筆者:今日は専務に秋田と秋田の未来について伺いたくお時間頂戴しました。お忙しい中ありがとうございます。
石黒専務:こちらこそありがとうございます。
筆者:早速ですが専務、聞き方乱暴ですが秋田ってどうですか?コロナ禍も一通り猛威を振るって、これからさあどうやってまた立ち上がっていこうという時期だと思うのですが、まず専務にとっての“秋田とは”をお聞きしたいです。
石黒専務:秋田市に住んでいるので“県”ではなく“市”の話をすると、どれくらいの人が秋田市で良かったって思っているかなと考えてしまいます。例えばですけど秋田市は子供が育てにくい。医療費、子育て費用の無償化も無い、幼稚園もしかり所得の関係も含めてしっかり有償で取られて補助金もない。秋田市自体は“子供を増やす、育てやすくする”と宣言しているけど、なかなかそうはなってない気がします。町の公園に行っても草茫々で遊べなかったりする。子供を連れて遊びに行くとしたって、県内まで目を広げれば色々あるかもだけど、市で見ると遊ぶ場所が無い。結果、みんな市外に出てしまっている。今私が子育て世代真最中なので真っ先にこのことが思いつきました。
子供がいなかった時期も同じでした。秋田って衣食住に困ることはないけれど、それでも面白みや楽しみが無い街だなって思っています。
筆者:なるほど。敢えて市内で何かをしようって思えないというか思っても場所がないんですね。
石黒専務:そうなんです。好きになりたいと思ってもじゃあ、具体的にどうやって、というか。
筆者:これは日本各地で深いテーマになりそうな気がします。地域で暮らすには大きな不便はないけれど、“楽しみたい”と思ったとき場所がなくて遠出しないといけない。もちろん遠出は遠出で楽しいけれど、地域の人が余暇の時間に“楽しみ”に行けて地域のみんなに大切にされている場所ってあるところとないところの差が大きいです。今私は佐世保市の観光DX戦略のお手伝いをしているのですが佐世保の人たちは佐世保が大好きでみんなそれぞれお気に入りの場所があるんです。これはそれぞれの地域をタイプ別に分けるときに大きな一つの軸になりそうな気がします。
石黒専務:そうなんですよね。仕事人としての目線で見るとみんな酒を飲んでゴルフをやっているだけかなぁという印象です。そして我々ジュニア世代もその仕事の仕方を見て育ってますから、継承してしまいます。
なのに一方では、県民の気風として秋田県にとどまることを是として県外に出ていく人が歓迎されないところが少なからずあります。出ていったまま戻ってこないのは親不孝者だ!みたいな。悪いことはしていないのに…。
大学に進学しようとすると大学もあまり選択肢が無くて、例えば4年制大学に行こうとしても数が少なすぎて現実的には県外に行く選択肢しかない人が大勢県外に行ってしまうんです。そして東京や仙台、県外に出てしまうとさっきお話したような気風ですから、もう秋田には戻ってきたくないと思うようになってしまう人が多いように感じています。
筆者:なるほどです。秋田には楽しみや面白みがあまりない中に一回県外に出てしまうと、県外に出ることをあまり歓迎されない空気感も感じるために、気持ち的にも戻ってきにくくなってしまうわけなんですね。
石黒専務:そうなんですよ。
筆者:確かに芸能人や著名人の方も“秋田出身”を全面に出してる方、なんとなく少ない気がします。全く検証してないただのいま時点の印象ですが。一方で私個人の知人で秋田出身の人間は少なくなく、そして皆さん秋田大好きで、東京にいてもいつ秋田に帰るかって考えている気がします。仕事が無いからしょうがなく東京で働くといった心持ちであられる。私と会うと「秋田の旨いもんが食べたい」って話題に必ずなります。これは私に料理として提供してってことだと理解しておりますが。笑
石黒専務:それは廣瀬さんがこういう変態さんだから、ちょっと変わった秋田人が集まってるんですよ。
筆者:参りました。笑
石黒専務:実際ですね、県民幸福度ランキングが47都道府県で最下位という事実もあるんです。
筆者:あ、本当ですね。でも東京も46位ですね。これ闇が深いですね。まさに私が地方創生は日本を救うキーだと感じている根源的理由につながるかもしれません。
▼県民幸福度ランキング
石黒専務:何故でしょうね。私も明確にこれだという理由を述べられないのですが秋田の県民性なのか、文化なのか、漠然と生まれて良かったと思うことが少ないんですよ。それがまさにそのランキングに一面として現れていると思います。「秋田はいいとこだ!」と口ではいいながら、本音の部分ではそう思っていない。実に秋田県民らしいと思います。ただ、秋田に生まれたからこそ周りの人たちと出会えたことは感謝していますし誇りに思ってもいます。秋田の人は昔からずっと好きです、だからなおさらこのギャップは自分でも不思議に思います。
といいつつも、学生として上京した頃は、秋田生まれということをひた隠しにしていました。東京で“東京人”のフリをしていました。「訛ってないね」と言われると嬉しかったし、方言なんて東京では基本使いません。
筆者:田舎者の集まり、東京というやつですね。
石黒専務:まさにそうです。
筆者:その気持ちは今も変わらずですか?
石黒専務:秋田に戻ってきて9年、今は意識が変わりました。何としても戻ってきたかったという訳では無いですが、いろんな縁や役割があって戻ってきました。家業を継ぐということが唯一明確な理由でしたが、戻ってきて見えてきたこともあります。そんな自分が秋田を変えていかなくちゃ駄目だと思うようになりました。自分の親世代も秋田を好きでいたように思えないんです。そして我々もそれを受け継いでしまっている。この悪い循環を続けてはいけない。我々世代の責任は重いぞ、と今は感じています。
筆者:悲壮感を感じる決意ですね。一方で私の知っている秋田の歴史を振り返ると古代には大陸との貿易拠点でしたし、東北列藩の中でも国力は強い土地だったのではと思います。歴史しかり文化も深い。そして先述したように食べ物も美味しくてその点を誇りに思っていない秋田人はいない印象です。
石黒専務:そうなんですよ。先輩諸兄も、元々はこんなはずじゃない、もっと秋田は豊かだった。大飢饉のときには近隣県に貯蔵米を放出して救ったこともあったんだといったようなお話も聞きます。なのに今は人口減少率も全国ワーストで、現実とのギャップに耐えられないという思いも幸福度47位という背景にあるのかもしれません。根っこの根っこで自分の故郷を誇れていない気がします。
ただ、私は一番深い縁を頂いたこの秋田から家業と従業員を守るために絶対に逃げないと決めました。だって私にとって帰るべきところはここ秋田なんだし、いくら東京で東京人のフリをしても心の中ではずっと理想と現実のギャップを抱えたままになってしまいます。だったらご縁といるべき理由のある秋田を変えてやろう。じゃあ私にできることでどうやって秋田の価値を高められるだろうって考えるようになりました。
筆者:私が初めて専務にお会いした頃は、積極的に県外へ全国へと飛び回っていらっしゃいましたね。大変精力的な活動をされているなと思いました。
石黒専務:それで廣瀬さんに言われたんですよね。「あなた外を向きすぎじゃないか」って。「もっと社内で時間を使うべきじゃないか」って。最初はあなたに何が分かるんだってムカッと来ましたが今考えるとあれはまだ秋田の外に未練があるのを隠したままで取ったポーズだったのかも知れないなと思います。あのときの自分としては秋田を代表してもっと秋田を日本中に広めようって思いがあったんですけれども。そういう思いで県外に出かけていっていろんな活動に参加しました。今思えばそれは努力の方向が違ったなって思います。
筆者:その思いは当時しっかり伝わりましたよ。ただ、私としては順番が違うんじゃないかなって感じたのをそのままお伝えしました。大変不遜なことをお伝えしたと思います。申し訳ありませんでした。
石黒専務:いえいえ。でも実はあの後社内で取った匿名のアンケートに同じようなことがたくさん書かれていて、本当にドキッとしたんです。そして改めて考え直しました。私ができることは秋田を広めることではなく、まず秋田スズキを働きたい会社、働き続けたい会社にすることなんだって。だって大学を出てその後に就職したい企業が地元になければ若い人は心情的には地元に帰ってきたくても現実帰ってこないじゃないですか。私には幸いにも家業があった。ならばその家業に全力で取り組んで、会社自体を“働きたい会社”に成長させることに本気になることが一番の使命だと気づいたんです。だから皆さんに、進学でも仕事でもどんどん県外に出て経験して学んできてください、と。そしてその経験や学びを持って秋田に帰ってきたくなるような会社を作って我々待ってるから!と自信を持ってお伝えできるようにしていきたいです。
筆者:専務の本音の吐露、そしてその上での固い決意。ちょっとジンとしちゃいます、私。専務は今は秋田が好きですか?
石黒専務:そうですよね。正直に答えると今は“どっちって言われたら好き”くらいです。だいぶ進化しました。笑
そして、何が楽しくて、何が面白くて好きなのって聞かれたら、今私が働いている場所に良い仲間が本当にたくさんいる。それが私の中で仕事すること自体そのものの価値になっています。これが私の今の心の支えになっています。心から感謝です、本当に。
筆者:本日話してくれた専務の心象の変化ですが、私が聞いている感覚として、今の若い世代のつらさ、悩みや絶望感にも共通している部分があると思います。もちろん専務は格差社会にあえぐ若い世代よりはずっと恵まれた経済環境にはいらっしゃったと思いますが、そんな若者たちの気持ちと共鳴しながら“働くのが楽しい場所”をたくさん増やしていってくれたら救われる若者も少しずつ増えるのではないかなと感じました。
そして、専務の様に自分の真ん中にどんな価値観があって、その上でどうしたら自分自身が幸福になれるのかを納得していないと、何を頑張ろうって言ったってスタミナが続かないしそもそも何を頑張ったらいいのかもわからなくなってしまうのではないかなと思います。そのご自身の中での大切なものを確認するためお仕事の中で試行錯誤をされてこられたんだなと感じています。
石黒専務:そうですね。「日本しね」なんてツイートが話題になってしまったことがありましたが、そんな気持ちも正直わからないことはないです。共感する部分、たしかにあります。でも日本しか知らないままで海外に出たところで満足できるのか、きっと同じ不平不満にぶち当たってしまうのではないか、そんなことも同時に思うんです。だからどうせ自分の周りからしか変えられないなら自分が与えられた場所で頑張って変えてみよう、今はそう思えるようになって良かったと感じています。
筆者:シンプルですが深いですね。私もそう思います。やることやっていれば僅かでも変わるかもしれない。誰かに“やってくれ”というよりは自分で動くことができるなら動きたい、そう思います。また私はそう思える今の環境には感謝しています。
石黒専務:わかります。私もそう自分で思います。
▶後編へつづく
©2023年 株式会社猿人ならびに「自治体DX 友だちの輪」コミュニティ
本資料は株式会社猿人主催「自治体DX 友だちの輪」コミュニティにてコラム掲載。
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