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チャットモンチーの歌詞の素晴らしさを改めて見直してみません?③majority blues編

<はじめに 自伝的な作品のmajority blues>

 2回にわたって取り上げてきた、チャットモンチーの歌詞を深読みしていくのも今回が最後。初期の作詞数が一番多い元ドラムの高橋久美子さんの、抽象的で難解な物語「シャングリラ」、バンド中期のバラードでベースの福岡晃子さんが写実的で美しい表現で男女の別れを綴った「染まるよ」を掘り下げた。
 今回はえっちゃんことボーカルの橋本絵莉子さんが作詞した「majority blues」を考える。この曲はバンド後期の2016年に11月に発売された。この時橋本さんは32歳。ここに至るまでに2011年の高橋さんの脱退、2013年の橋本さんの妊娠・出産があった。人生の酸いも甘いも経験してきたからこそ、ここで一度それを振り返ってみたい。そんな意思を感じる自伝的な内容になっている。


 橋本さんの作詞の大きな特徴は、とてもシンプルだということ。高橋さんのような文学的で言葉遊びに富んだ、音感的にも跳ねていくものとは違う。平易で簡潔な言葉の連なりだ。福岡さんのように、ドキッとするようなエモーショナルな言葉が入ることもない。表面上はずっと淡々と言葉を吐き出している
 「majority blues」は1回目に取り上げた「風吹けば恋」や「シャングリラ」にも共通する「女子の自意識」を、総括する話だ。

<コレって結局私だけじゃないよねという気づき>


簡単にいうと、「私は特別」「私は他の人とは違う」「こいつら毎日毎日、共通の漫画、雑誌、イケメン俳優、ゲームの話ばっかりでくっだらねぇ、私はあんた達とは違うから」っていう自意識っていうのはマイノリティだと思ってたけど、むしろ誰しもが抱えてるものなんだよねって気がつきましたって宣言。ま、そりゃそうなんだけど笑。でも思春期ってそれを認められない「こじらせ」があるから、一通り年を重ねて母にもなった段階の橋本さんだからこそ言えることだろうと思う。この感覚を巧みに言語化したガールズバンドがもう1つある。今をときめくSHISHAMOである。

 SHISHAMOの「明日も」の歌詞にも

月火水木金 学校へ
友達の話題についていくのは本当は
私にとっては大変で
私が本当に好きなのは昨日のテレビじゃない

という箇所がある。これは川崎フロンターレファンのメンバーが、サッカーを観てる瞬間は日常の鬱屈から解放されてきた体験を基にした曲だ。

「自分の好きなものは、何者にも奪われない尊いもので、それがあるから生きていける」というテーマ的にも完璧で爽快なナンバーだ。しかもこの時期ぐらいから「カープ女子」とか「相撲女子」とか「プ女子」とか、要するに「女なのに〇〇好きなの?」みたいなしゃらくせえ奴らを黙らせる風潮が興ってきたので、まさに時代に即していると思う。
 で、このSHISHAMOにとってのサッカーが橋本さんにとって音楽だった。majority bluesの出だしはこんな感じだ。

自転車で30分薄暗い道
ライブハウスは思ったより狭かった
帰り道は40分ヘッドライトの中
初めての耳鳴りが不安だった
帰りが遅くなって夢を見るようになった16歳の私へ yeah

<たった2行で本質を言語化する卓越した能力>

 ここで注目したいのは、とにかく歌詞が引き算で構成されていることだ。初めてライブハウスに行った時の体験を完結にまとめているのだが、普通ならそこで「いかに感動したか」「いかにその体験が特別だったか」を連ねていくところだと思う。
 だけど、橋本さんは家からライブハウスまでの道のりの所要時間という客観的な情報、店内が狭いという冷静な分析、そしてライブの感想はすっ飛ばして「耳鳴り大丈夫かコレ?」っていう、これまたどこか醒めた物の見方。これはSHISHAMOとは明確に違う。
 だけど、その次の1行「夢を見るようになった」で、あぁこの人はちゃんと心を突き動かされてたんだなと分かる。つまり、「あの時の感動、あの時の興奮、高揚感なんてとても言葉にできねえよ」ってことなんだと思う。
 それとこの歌詞は現在の橋本さんが、過去の自分と未来の自分に宛てて書く手紙になっているので、「まぁ言わんでも分かるっしょ」という照れ臭さみたいなものがあると思う。でも読み手・聞き手の僕たちはあえて言葉にしないからこそ、行間から「あーすごく特別な体験をしたんだろうな」と感じ取っている。こうした余白の豊かさに溢れているのが「majority blues」だ。

My,my,my,my,majority
みんなと同じものが欲しい だけど
Majority,minority
みんなと違うものも欲しい

 このサビの部分は前述した通りだが、自意識の本質をたった2行で言語化したことに舌を巻いてしまう。広辞苑に載せていいレベル

飛行機で70分 空の旅
東京は思ったより近かった
右も左も分からない 前しか見えない
徳島は思ったより遠かった
始まりの鐘が鳴り さよならの味を知る 22歳の私へ yeah

 2番は初めて上京した時のエピソード。「みんなと違うもの」を求めて徳島を離れた橋本さんは、まず物理的な距離で「なんだ東京って以外と近いやん」と思う。ところが降り立ってみると、そのコンクリートジャングルに圧倒される。どうでもいいけど東京って、京都みたいに区画整理されてないから、帰る度にゴチャゴチャしてんなって思う。
 「徳島は遠い」というのは、片道きっぷの覚悟で上京したという意味だろう。東京に行くこと自体は簡単だが、戻ることは難しい。これからこの何も知らない、誰も知らない土地で生きていかなければならないんだ。始まりの鐘は鳴ったが、「それは徳島に残っていたらこうなってたかな」という可能性を消し去る音でもあるのだ。覚悟を決める22歳の私に、現在の橋本さんがエールを贈る。

My,my,my,my,majority
あなたを作るの私じゃない だけど
Majority,minority
あなたを守る人は私
まだ見ぬ私へ
あなたを作るの私だけ
Majority,minority
あなたを守る人は私

<自分の人生を他人に決めさせるな>

 ここも名パンチラインでシビれる。全ての新社会人に通じるアドバイスだと思う。人が成長したり豊かになるのは、結局人との出会いでしかない。僕も妻に出会わなかった人生を想像するとゾッとする。だけど、自分の人生を他人に決めさせてはいけない。その堅い決意が見てとれる。「染まるよ」でも、なぜ男女が別れなければならなかったのか。それは恐らく二人が歩む道が別々にあって、でも「私」はそこで妥協して彼の道を歩まなかったことにある。同じ道を歩く人とじゃないと一緒にはならない、それは自分の人生は自分で決めるという断固たる想いなのだ。
 スティーブ・ジョブスのスタンフォード大学の卒業式のスピーチとか、最近だと上野千鶴子さんの東大入学式のスピーチなど、社会に出る人に向けての素晴らしい言葉はいくつもあるが、やはり橋本さんが凄いのは、本質をたった2行で言語化したことなんだ。これは本当に凄いとしか言いようがない。


<まとめ>

 チャットモンチーの曲は全て、本当に全て共通したものがある。それは「自己肯定」「自分賛歌」の概念だ。自分を好きになること、自分を大事にすることが、恋愛においても仕事においても、世界と繋がっていく上で一番大事なんだと歌い続けた。たとえその形がいびつでも、いやむしろいびつだからこそ、自分は自分なんだという哲学。「ダイバーシティ」とか「インクルージョン」みたいな言葉が一般化する前から、この時代を人はどう生きるべきかの本質を見抜いていた先見性があった。「シャングリラ」なんかはまだガラケーの時代なのに、現在のスマホ依存を予知するような内容だし。


 もちろん普遍的な問題ではあるけど、こと「女性の生きる道」というのを押し付けがましさなしに、あくまでキャッチーに、でも時にはメロウに届けてきたことは、もっともっともっと評価されるべきだと思っています。
 この歌詞を読み解いていくのは、時間がある時にまた別のアーティストでやろうかなと思っている。次に何を書くべきか。

 いまちょっと考えているのは、ジョン・ヒューズの青春映画をもう一度考え直す必要があるのかなということだ。というのも「バンブルビー」「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」「ピッチ・パーフェクト」「スパイダーマン ホーム・カミング」「レディ・プレイヤー・ワン」…などなど、とにかく今アメリカ映画がジョン・ヒューズの「ブレックファスト・クラブ」や「フェリスはある朝突然に」などにオマージュを捧げまくっている。

それだけじゃない、「桐島 部活辞めるってよ」とかそれ以降の邦画青春映画だって影響を受けてないはずがないのだ。
 僕は映画はお勉強ではないと思ってるが、過去の映画の引用なんかは一般教養として知って当然っしょ?ってレベルで、親切心なくブチ込んでくるし、それがこういうブロックバスター映画にまで浸食しているのは注目したい。白黒映画じゃなくて、、ジョン・ヒューズの作品はどれもサクッと見れて、メチャメチャ面白いし「ブレックファスト・クラブ」がちょうどamazonプライムに入荷したタイミングではあるので、次回は恐らくそれについて書くことになると思います。

 


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