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ルネサンス期のディズニー②『美女と野獣』(1991年)

【めくるめく映像・音楽体験】


 1991年に公開された『美女と野獣』はディズニーアニメ屈指の名作とされる。ヒロインのベルは、ディズニーを代表する人気プリンセスだ。
 と、突き放した書き出しなのは、僕自身はこの作品にあまりノレないから。しかし、この映画が特に日本で非常に根強い人気を誇るのは興味深い。ベルは日本人に、最もシンパシーを感じさせるということなのだろう。

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 ストーリー以外の話をすると、やはりまず音楽だろう。巨匠アラン・メンケンの才能が遺憾無く発揮された今作。
 不穏な序曲に始まり、「ここではないどこか」を切望する「朝の風景」、コミカルかつ手際良くヴィランを紹介する「強いぞガストン」、MGMミュージカル愛に溢れた「Be Our Guest」、そして舞踏会を彩るキラーチューン「Tale As Old As Time」…
捨て曲なしどころか、全曲が神曲といって差し支えない。


 映像面はシーンごとの作画がバラバラなのが気になるが、オープニングのステンドグラスや、秋の紅葉が一瞬で雪景色に変わるところ、そして圧巻のダンスシーンのゴージャスなカメラワークなど、「美しい」の一言だ。「ファイナル・ファンタジーⅧ」のスコールとリノアの舞踏会のムービーは、明らかにここから影響を受けていると思うし、まるでドローンカメラを予言するかのような浮遊感のある滑らかなドリーショットは高揚感と多幸感に包まれている。

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【映画の評価と好き嫌いは別】


 映画の魅力は、映像と音楽で「現実」を超越すること、そしてそれを観客に体感させることだと思う。『美女と野獣』は文句なしにそれをクリアしており、そこに一切の異論はない。
 しかし、これはあくまで個人的な意見だが、僕は本作のストーリーに同意しかねる点がいくつかある。誤解ないようにいっておきたいが、
ストーリーに納得できない=「映画がつまらない」ではない
単に自分の好みではないというだけだ。
 近年は映画のレビューサイトなどが充実したことにより、


「感情移入出来ずつまらなかった」
「脚本に穴があって面白くない」


といった評価をよく目にする。この文章は、決してこの風潮を容認しない。「自分が理解できない=面白くない」という考えは、恐ろしく貧相だ。
 映画に「質」は存在するが、「好き嫌い」はそれに必ずしも比例するものではない。それから、映画はモラルや「正しさ」に従う必要もない。

【病んでる男が女をコントロールする話】


 前置きが長くなってしまったが、ここかrは僕がなぜ『美女と野獣』に没入出来なかったかを説明していく。不快に感じられる方もいると思う。予めご了承頂きたい。

 原作が書かれたのは18世紀。200年以上前のことだ。古典作品を現在の価値観で論じることは大変ナンセンスだが、物語を要約すると
「オッサンが若い娘を拉致監禁し、その娘がオッサンの求婚を受け入れる」ストックホルム症候群みたいな話。
もっと簡単にいえば、かなり病んでる話なのだ。


 もっとも、男が女を自分の家に閉じ込めてコントロールする話は数え切れないほどある。『マイフェアレディ』や『プリティ・ウーマン』、最近だとPTAの『ファントム・スレッド』もそうだ。
 金持ちの男が、若く美しい女を管理する話。別にそれをアンモラルだと糾弾する気はない。男女同権が叫ばれるまで、実際に世界中で繰り返されてきたことだから。しかし『美女と野獣』のように、純愛を強調するかのようなストーリーテリングには違和感を覚えてしまう。

【美醜の教訓として成立していない物語】

 もう1つ、本作には構造的に大きな欠陥がある。
野獣ことアダム王子は、顔の醜い老婆に化けた魔女を冷たく追い返した罰を受け、醜い姿に変身させられた。
「人を見た目で判断してはいけない」という教訓である。
なら、ヒロインのベルが町一番の美女なのは辻褄が合わないだろう。
結局顔じゃん笑!
 というより、顔が可愛いから好きになるまではいいのだが、
→ベルが何らかの理由で容姿が醜くなる
→しかし彼女のことを愛した野獣は、それを受け入れる…
的な展開があって初めて、「人を見た目で判断してはいけない」という前フリに応えることになるのではないか。
たとえば『シュレック』はまさにそういう話だった。

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美醜の問題って、本当にセンシティブだと思うし、僕のようにモテない側の人生を送ってきた人(マジョリティだと信じたいが)からすると、
中途半端に説教くらってる感じが余計に腹立たしい
それこそ水商売をしている女性に、「何でこんな仕事してるんだ、親が悲しむぞ」と説教する客みたいな欺瞞だ。

【ベルはなぜ屈指の人気キャラなのか】


 ここからはヒロインのベルというキャラクターについて考察する。彼女は何故ここまで人気があるのか。先に結論から言うと、
ベルは中々に自意識過剰でこじらせたキャラクターで、
そこが我々の自我の琴線に触れるのではないかと思う。

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 まず前回の『リトル・マーメイド』評で、以降のディズニー作品の基本となる「ひな形」が形成されたと述べたが、今作『美女と野獣』で、それがどれほど一致しているか確認してみよう。

①ヒロインに縁談の話が持ちかかるが、本人は乗り気ではない
→○ ガストンがベルに求婚するが、ベルはそれを拒否する
②ヒロインの母親は不在(死別か理由が語られない)
→○ ベルに母親はいない。野獣も両親が存在しない。
③ヒロインの良き理解者となるペット(動物)が存在する
→△ 一応馬が登場するが、活躍しない
④ヒロインの父親は、その世界の為政者だが、欠点が多い人間として描かれる
→△ 父モーリスは権力者ではない、しかし相当のおっちょこちょいだ
⑤父親は娘を深く愛しているが、伝統や歴史に逆らえない存在
→○ ベルが野獣に対して人質の交換を申し出た際、モーリスは無力だった
⑥悪役はその父親に対し不満を募らせ、政権打倒を企む野心家として描かれる
→△ モーリスは権力者ではないが、ガストンは狡猾な野心家である
⑦悪役もペットを飼っている
→○ ペットではないが、ル・フウの立ち位置は他作品のペットと同じ
⑧ヒロインは閉鎖的な自分の世界に嫌気がさし、別の世界を夢見る(だいたいここで心情吐露の歌を歌う)
→○ 「朝の風景」のリプライズ部分に相当
⑨別の世界に飛び込むと、恋に落ちるパートナーが登場
→○ ベルは野獣と恋に落ちる
⑩主人公とパートナーが結婚してめでたしめでたし
→○ 


 このように、『美女と野獣』は『リトル・マーメイド』と物語の大まかな構造が似ている。しかし、とても大きな違いがあって、それはヒロインのキャラクター描写である。

【私って変わってんのかな?という強烈な自意識】

 ベルが最初に登場するのは「朝の風景」というミュージカルナンバー。歌全体がベルの紹介文になっている。内容を要約するとこんな感じだ。

<町人たち視点>
・ベルは町一番の美人
・だが、俺(私)たちと違って俗っぽくない
・本の虫で、本ばかり読んでいる
・だから彼女は変わり者だ
<ベル視点>
・本の世界のように素敵な王子様と出会いたい
・ここではないどこかに恋い焦がれているわ

 ここで注目すべきなのは、「本当に町人たちが歌っているのか?」という点。ベルは読書によってフィクションの世界に没入している。
つまり、このシーン全体が彼女の主観、妄想という可能性もある。

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 この解釈に沿って話を進めると、ベルは町の人達を少し見下している
町人たちが自分のことを理解出来ないのは、「俗っぽくて知的好奇心がない」ため。あるいは、彼らはこの田舎で一生を過ごすことに何の疑問も持たない「めでたい人々」だと。しかし、自分は違う。

「ここに自分を満足させるものはない」
「みんな幸せそうなのに、物足りない」
「私ってやっぱり変わってるのかな?」

 そう、「朝の風景」は普遍的な自意識の吐露だ。きっとベルは自分が美人なこともバリバリ自覚してる。ガストンになびく金髪3人衆と違い、自分はガストンがハンサムなことは認めつつも、彼には全くピンとこない。ピンとこと自体が、自分を特別たらしめるからだ。

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 彼女の自意識が露見するシーンがもう1つある。雪遊びをしながら、野獣に対して好意が芽生えたことを打ち明ける「Something There」という歌。ここの歌詞の内容は、野獣に恋い焦がれる自分への驚きだ。


 これと良く似た歌が、西野カナの「Darling」にある。

いつか友達と語り合った理想の人と まるでかけ離れているのに
Ah なんで好きになっちゃったのかなぁ
私って少し変わり者なのね

 この数行のラインだけで『美女と野獣』の本質をズバリと掴んでいる。
やはり西野カナは天才。


あるいはバカリズムさんのコント「女子と女子」での、
「イケメンが苦手な私って変わってんのかな〜」でもいい。

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 この普遍的な自意識にリーチしているから、ベルは人気ヒロインなのだ。
 この自意識があからさまに描かれると、いわゆる共感性羞恥が働いて、ベルの魅力は目減りしてしまう。『美女と野獣』が見事なのは、その自意識を感じさせない配慮が隅々まで行き届いていること。だからとことん気持ちよくさせてくれるのだ。

【やはり決断力に欠けるヒロイン】

 まとめると、本作はベルと野獣のどちらに感情移入するかで見方が分かれる作品だ。僕のように容姿に劣等感がある人間は、野獣のキャラ設定に引っかかる。特に最後にイケメンになるのが嫌だった。せめてアダムが野獣状態の時にベルがキスして、それによって人間に戻って欲しかったなあ。

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一方で、ベルのもつ普遍的な自意識に乗っかりさえすれば、とてもロマンチックなラブストーリーとして見ることができるだろう。
 あとはガストンについても話したい。結局、現実世界で一番モテるのってガストンみたいな男でしょ。

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たとえ無根拠でも自分に自信があって、「お前のこと好き」ってアピールできる男の方が、奥手でウジウジしてるけど優しい男よりも魅力的。
みたいな話は、『ノートルダムの鐘』でメイン・テーマとなるので、いつかこの映画についても考察していきたい。

 ベルにもう一つ苦言を呈すなら、アリエル同様にクライマックスでほとんど活躍しないのはどうなの。どころか、ベル自身がマッチポンプになって暴動の引き金を引いている。別にガストン死ぬ必要なかったでしょ。
 決断力のある強いヒロインは、次作の『アラジン』のジャスミンの登場を待たねばならない。というわけで、次回は個人的に最高傑作だと思う『アラジン』を取り上げます。

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