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世界遺産20周年の熊野三山旅行③

最終日は、昨日の快晴が嘘のように雨。
本日は、補陀洛山寺へ。

大学の世界遺産の授業で学んだので、内容をちらっと覚えていたんだけど、改めてこのお寺の由来を知ると、すごく興味が湧く。

観音様のいる浄土が海の向こうにあると信じられていて、信者は船に乗って浄土を目指す。
30日分の食料を持って、船の中に入ったら、外から打ち付けて出られないようにする。沖までは先導する船が引っ張って、その後、沖に流す。

四方向に鳥居を立てて、真ん中の家のような所に人は入っていた、らしい

こんなことが、平安時代から定期的に行われていたらしい。
wikiによると、20回くらい実施されたみたい。

南方に臨む海岸から行者が渡海船に乗り込み、そのまま沖に出るのが基本的な形態である。その後、伴走船が沖まで曳航し、綱を切って見送る。場合によってはさらに108の石を身体に巻き付けて、行者の生還を防止する。
江戸時代になると遺体を渡海船に乗せて送り出す水葬の一種に変化する。

出典元:ウィキペディア,補陀落渡海 2024/5/4参照

途中で船が転覆したり、嵐に遭うかもしれない。絶対に逃げだせない密閉された船の中、もし外に出られても、石を巻き付けられているし、陸には戻れないほど沖にいて、海に沈むしかない運命。そこが目指す浄土だったのか。修行者たちはいったいどんな心情だったんだろうと想像すると、とても怖い。私のような邪心まみれの人じゃないだろうから、おとなしく流されて、死を待ったんだろうか。
この補陀落渡海が題材になっている本があるみたいなので、ぜひ読んでみようと思います。とても興味がある。


最後は補陀落渡海へ思いを馳せながら、帰路につきました。
名古屋駅まで4時間はみておきたい。そして、亀山~四日市までは混むことで有名なので、そこも気を付けたい。
と思いつつも、勢いで伊勢神宮へも行ってきました。小雨が降っていたし、人も多かったけど、やっぱり内宮へいく参道の緑は生き生きとしていて、神聖な空気を感じました。
天照大御神ほんとに好きだなあ。なんでだろうか。

なんでだろうか、と思うことを、もう少し突き詰めて考える癖をつけたい。
これも今後の思考テーマとして残しておこう。
まあ不純な動機が出てきそうで、あんまり突き詰めたくない気もするけど。


結局亀山JCTで渋滞に巻き込まれたけど、新幹線の時間には間に合いました。無事に熊野三社に参拝出来てよかった。

いつどんな瞬間からでも、人は再生できる、と信じている。
再生できる人と、私の違いはなんなのか。
それは、やるか、やらないか。それだけ。

和歌山はとても遠かった。気持ち的には、沖縄や北海道に行くより遠かった。数年前から行きたいな~でも遠いし高いしなあ~とグダグダしてた。でも行くと決めたら、行けた。それだけ。明日からも動け自分。


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