世界遺産20周年の熊野三山旅行③
最終日は、昨日の快晴が嘘のように雨。
本日は、補陀洛山寺へ。
大学の世界遺産の授業で学んだので、内容をちらっと覚えていたんだけど、改めてこのお寺の由来を知ると、すごく興味が湧く。
観音様のいる浄土が海の向こうにあると信じられていて、信者は船に乗って浄土を目指す。
30日分の食料を持って、船の中に入ったら、外から打ち付けて出られないようにする。沖までは先導する船が引っ張って、その後、沖に流す。
こんなことが、平安時代から定期的に行われていたらしい。
wikiによると、20回くらい実施されたみたい。
途中で船が転覆したり、嵐に遭うかもしれない。絶対に逃げだせない密閉された船の中、もし外に出られても、石を巻き付けられているし、陸には戻れないほど沖にいて、海に沈むしかない運命。そこが目指す浄土だったのか。修行者たちはいったいどんな心情だったんだろうと想像すると、とても怖い。私のような邪心まみれの人じゃないだろうから、おとなしく流されて、死を待ったんだろうか。
この補陀落渡海が題材になっている本があるみたいなので、ぜひ読んでみようと思います。とても興味がある。
最後は補陀落渡海へ思いを馳せながら、帰路につきました。
名古屋駅まで4時間はみておきたい。そして、亀山~四日市までは混むことで有名なので、そこも気を付けたい。
と思いつつも、勢いで伊勢神宮へも行ってきました。小雨が降っていたし、人も多かったけど、やっぱり内宮へいく参道の緑は生き生きとしていて、神聖な空気を感じました。
天照大御神ほんとに好きだなあ。なんでだろうか。
なんでだろうか、と思うことを、もう少し突き詰めて考える癖をつけたい。
これも今後の思考テーマとして残しておこう。
まあ不純な動機が出てきそうで、あんまり突き詰めたくない気もするけど。
結局亀山JCTで渋滞に巻き込まれたけど、新幹線の時間には間に合いました。無事に熊野三社に参拝出来てよかった。
いつどんな瞬間からでも、人は再生できる、と信じている。
再生できる人と、私の違いはなんなのか。
それは、やるか、やらないか。それだけ。
和歌山はとても遠かった。気持ち的には、沖縄や北海道に行くより遠かった。数年前から行きたいな~でも遠いし高いしなあ~とグダグダしてた。でも行くと決めたら、行けた。それだけ。明日からも動け自分。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?