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「#2023年上半期自選十句をつぶやく」の鑑賞です

広瀬康と申します。趣味で俳句をしています。

今回はTwitterで拝見した#2023年上半期自選十句を呟くの句の中からピックアップして、鑑賞文を書かせていただきました。

見当違いの読みをしているかもしれません。句のあとに作者名を敬称略で記させていただきます。(句をクリックすると作者様のツイートに飛べるようにしました)

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雪解で切手を貼つた手紙なの   眩む凡
普通なら、舌でなめたり、水道水の水をつけて切手を貼る。この句では、春になり解けた雪で切手を貼っている。その詩的さに惹かれました。口語なところがかわいさを倍増しています。知人あるいは友人あるいは恋人に、春の訪れを告げる手紙なのでしょう。

全方位外交やめよう麦茶飲も   青田奈央
すべての国と友好関係を維持していく全方位外交。この句の全方位外交は、政治的なことではなく、普段の日常の人間関係のことを言っているのだと読ませていただきました。角が立たないようみんなに合わせて生きていく全方位外交の生き方に疲れた感じともういいやという諦めが「麦茶飲も」という言い方に現れていて、すごくいいです。

教室の結論ヒヤシンス静か   平良嘉列乙
学級で起こる数々の問題。先生が結論を出すこともあれば、生徒の多数決で結論を出すこともあると思います。結論に至るまでに議論は尽くされたか。出た結論に納得がいっていない子も中にはいるでしょう。「ヒヤシンス静か」という凛とした措辞は、結論がもう覆らないことを伝えています。結論が出たときの教室の空気感まで伝わってきそうな一句です。

剣であり盾であり春日傘であり   凪太
閉じている日傘は剣で、開いている日傘は盾である、と読ませていただきました。攻撃に使う剣と防御に用いる盾。正反対の用途の武器で日傘を見立てているところがユニークで面白いと思いました。この句の文脈で読むと、日傘に降り注ぐ春の陽光も聖なる光のように感じられます。

生きてゐる母とぶつかる夕焼かな   山本先生
この句の「ぶつかる」は身体的接触ではなく、意見の「ぶつかる」と読ませていただきました。大人になって、自立したからこそ、親とまったく別の意見をもってぶつかる。「生きてゐる」からこそぶつかる。肉親だからこそぶつかる。親と子の対立を夕焼が受け止めます。

石鹸の香りしさうな海月かな   菅井香永
海に生息する海月ではなく、水族館で観る海月を思いました。ライトアップされ透き通る幻想的な海月からは、石鹸の香りがしそうという感覚に詩的共感を覚えます。香りがすると言い切るのではなく、「しさう」とやわらかく自分の感覚を表現してくださっているので、読者も無理なくこの句に共感できるのだと思います。

鳥雲に入る朝はひかりに飢えてるか   じゃすみん
北に帰る渡り鳥が雲間に消えていく、そんな朝。この句は「朝はひかりに飢えてるか」という措辞がすごすぎてとても印象に残っていました。夜が明けたばかりの朝を擬人化し、「ひかりに飢えてるか」と問いかける。まだ少し薄暗いうちに渡り鳥たちは雲の中に消えていく。ひかりに飢えている朝を脳内で思い浮かべると、とても綺麗な光景が見えてきます。

麦茶一気飲みしてラスボスの城へ   青井えのこ
ゲーム中。仲間も装備も回復薬もそろえ、いよいよラスボスとの最終決戦。麦茶を一気飲みして、ラスボスが巣食う城へ。個人的にゼルダの伝説かなと思いました。「一気飲み」に気合が感じられます。コーラやサイダーではなく、麦茶であるところが、少年時代の夏休みという感じでとてもいいなと思いました。この句の季語「麦茶」は動かないと思います。私もこの夏が終わるまでにはティアキンをクリアしたいです。

風花よストラディヴァリといふ馬よ   高尾里甫
青嵐俳談でお見かけしたときから、強く印象に残っていた句です。冬晴れの空から落ちてくる雪片を上五で詠嘆し、つづいてストラディヴァリという高名な弦楽器製作者から名をとった馬を詠嘆する。季語と詩的な名前の馬。その二つの詠嘆の重なるところからストラディヴァリウスの音色が聞こえてきそうです。すごく洗練された一句だと思います。

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以上になります。

お読みいただきありがとうございました。

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