「真夏のバス」


東京で同棲している彼女と大喧嘩をして、僕は一人で帰省した。

三日だけ彼女と離れて、少し冷静になって今後のことを考えようと思った。いっしょに住むようになって二年。喧嘩の理由はふたりの将来のことだった。彼女の両親は僕たちの結婚に反対していた。僕は転職を繰り返していて、収入が少なく、それがネックの一つだった。

故郷の夏は短い。冬は雪でおおわれ、薄暗い日々がつづくから、夏の太陽はとても貴重だった。僕は母の車を借りて、実家から三十分ほど走った先にある海に向かった。M町に新しく喫茶店ができた、と母から聞いて、静かに本を読もうと考えていた。

田舎の海岸沿いの道はとても狭くて、車両がすれ違うときは片方がバックし、広い路肩まで戻る必要がある。当然、追い越しは不可能なので、目の前に遅い車がいたら急ぐことはあきらめるしかない。

その日は運悪く、前方にバスが走っていた。狭くてカーブの多い道では、大型車は速度を出せない。ほとんど止まっているようなバスに、僕はあっという間に追いつく。県外ナンバーだった。地元の路線バスなら、バス停で止まっている間に追い越すことができるけれど、このバスはいっこうに停車する気配がなかった。僕はあきらめて外の景色を眺めることにした。

真夏の海は、太陽の光を反射してキラキラと輝き、痛いくらいにまぶしかった。地元の子供たちが色とりどりの水着ではしゃいでいる。僕も泳ぎたいなとうらやましく思う。濃い青空のなかで、雲の輪郭が白く光っている。目に入るものすべてが力強く生きていて、だから僕は夏が大好きだった。

目の前のバスは、ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。すでに喫茶店に到着してもよい時間だった。さすがに僕もイライラし始めたころ、やっと民家の前の、すこし広くなった部分でウインカーを出してくれた。僕は一気にアクセルを踏み込む。

追い越す際、バスの車体の側面に、大きな赤い文字で「宝くじ号」と描かれているのが目に飛び込んできた。あまりのカッコ悪さに、即座に(こんなバスにだけは乗りたくないな)と心から思った。宝くじの補助金で購入した、老人会用の観光バスだろう。田舎は高齢者であふれいている。たまの楽しみはバスでの日帰り旅行だ。

母が喫茶店といっていた場所は、市が新しく建てた宿泊施設の中にあった。真新しい木造のコテージが海沿いに並んでいて、その中央にコンクリートの打ちっぱなしの管理棟がある。中は天井がとても高くて、窓のそばに四人掛けのテーブル席がいくつか並んでいる。窓の向こうには水平線が見える。

スタッフの姿が見当たらなかった。「すみません」と三回ぐらい大声をだして、やっと二十歳ぐらいの若い女性が、奥から顔をだした。何か忙しく作業をしているらしかった。

「ここで、コーヒーを飲むことはできますか?」と僕がたずねると、「時間は16時までですけど、それでよければ」と早口で返事がかえってきた。時計をみると15時少し前だった。「大丈夫です」と僕はこたえた。客はだれもいなかった。僕は海がよく見える窓際の席を選んだ。

コーヒーを一口飲んで、実家の本棚から持ってきた本を広げると、玄関からさっきのスタッフの「いらっしゃい」という大きな声がきこえた。集団が到着した気配がある。でも不思議なくらいに静かだった。振り返ると、小さな子供たちだった。

子供なのに、だれも騒いでいなかった。幼稚園から小学生、なかには中学生っぽい子もまじっている。でもみんな一様に静かで、話し声はとても小さい。集団から外れて走り回る子はいないし、大声で笑う子も、叫ぶ子もいなかった。僕が子供のころ、夏休みの臨海学校だったら、もっと大騒ぎしていたはずだ。どうしてこんなに静かなのだろう? と奇妙に感じたけれど、それ以上の詮索はやめて、本の続きを目で追った。

養護施設の子供たちだと知ったのは、帰り際だった。

お会計の際に、スタッフが話してくれた。「県外の施設で、親のいない子供たちが、毎年この時期に、ここで合宿をしているんです」と言った。「きれいな海をめいっぱい楽しめる場所だから、みんな楽しみにしてるみたい」

窓の外を見ると、中学生くらいの男の子が薪を割っていた。頭は少しだけ茶色に染めていたけど、大人のスタッフの指示にしっかりとうなずいている。小さな女の子たちは笑顔で食材を運んでいる。

さっきの玄関での、とても静かだった彼ら彼女らを思い出して、僕は急に胸が締めつけられた。子供は大声で騒ぐものだ。でもそれは、もしかしたら安心できる環境があるからなのかもしれない。だれかに甘えても許されるから、ずっと許されてきたから、ふざけたり、走り回ったり、大声を出せる。

駐車場に出ると、僕の車のとなりに、さっき追い越した「宝くじ」のバスが停まっていた。子供たちが乗ってきたバスだった。

真夏の太陽は西日になってもまだ明るい。車のドアを開けると熱気があふれていて、窓を全開にしてエンジンをかけて、僕は実家に向かって走り出した。



***

ここで僕は何を書こうとしているのだろう?

誰が幸せで、誰が不幸とか、そういった話ではない。僕は「宝くじ」と大きく書かれたバスを見て、これに乗るのは恥ずかしいなと思ったのは事実で、でもそのバスに乗って毎年楽しみに海に来る子供たちがいて、でも彼らもやっぱり大きくなったらバスのことをちょっとは恥ずかしく思うかもしれなくて、でも恥ずかしいと思っても両親が車で送ってくれるわけではなくて、そういえば僕の父がいつも購入しているジャンボ宝くじも多少は役にたっていたのかなと考えたり、子供たちだけで寝る夜は眠れるのだろうかと想像して不安になったり、茶髪の彼はそのまま素直に育ってほしいと願ったり、帰ったら「ただいま」と親にちゃんと言おう、と思った。

自分の子供時代を思い出した。大人になってから、就職してから、転職を繰り返したことを思った。彼女と大喧嘩したことも思い出した。とりとめもなくたくさんのことを思い出した。

この出来事は、誰かに向かって声高にすることではないとわかっている。でもここに書いているのは、だれかと共有したいというよりも、言葉にならなかったあのときの想いを、忘れないようにするためだ。

みんなが幸せを感じられる瞬間がありますようにと願っているけれど、同時に、僕にできることはほとんどないこともわかっている。




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