【エッセイ】『夜の街の不良には、noteの街にも居場所がない』
「広瀬くんの絵は、みんなよりもちょっと下品なので、猫の絵をかぶせちゃいましょうね」
教室の後ろに張り出されたみんなの絵。そのなかで、僕の絵だけが上から猫の絵をかぶせられた。
「見たい人は、大人になったら、めくっていいですからね」
先生、僕の絵は、たしかにみんなよりも少しだけ表現が下品というか、ストレートというか、ちょっと大人っぽいかもしれないけれど、一生懸命に描きました。なにがいけなかったのでしょうか?
「どうして広瀬くんの絵が選ばれたのかは、校長先生の開発したAIで判断しているので、先生にはわかりません」
一律に機械的に猫の絵をかぶせるのは、正しいのでしょうか?
「広瀬くん、ごめんなさいね。この教室には小学校1年生も入ってくるので、広瀬くんの絵は、見せられないんですよ」
僕はもうそれ以上はなにも言わなかった。これ以上、先生と話をしたって、立場が弱いのは僕だ。ルールを決めるのは先生。僕は1人で教室を出た。
後ろでクラスメイトが何人か笑った。笑われるのは昔から慣れている。もう別によかった。この教室にも居場所がないや、と思った。
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なんの比喩かと申しますと、もうおわかりかもしれませんが、noteが先日から始めた年齢確認の件です。
『年齢確認によるゾーニングで、コンテンツの棲み分けをしていきます』
自分の過去記事を確認したのですが、もう見事に、10件ぐらいの記事が「18歳以上向け」とオレンジ色で表示されていました。(「プロフィール」の小説も当然のように規制対象になっていたので、プロフィールから取り下げました)
たしかに、中には18歳未満の方が目にするのはふさわしくない記事があるかもしれない。(ふさわしくないと思った記事については、僕としてはみんなの目にふれないうように有料化したり、単語を書き換えたりしていたつもりです)
書いた小説によっては、際どい単語が出てくる。小学生が読んでいいの?と言われれば、よくないかもしれない。
よくないけれど、小説って、表現って、きれいな単語だけを使うのが善なのだろうか? ベストセラーの『ノルウェイの森』だって、文中の単語だけ拾ったら今回の規制対象にひっかかるかもしれない。
おそらく今回の規制は、文中の単語(「大人に関するあれ」とか「大人に関するあれ」)で、機械的に判断しているんだと思います。
もうなんの単語がひっかかるのか分からないので、正直、怖くて「大人に関するあれ」の単語はここには書けない。また猫が覆いかぶさってくるから。
そして、「大人に関するあれ」の単語があるかどうか、という単純なことではなくて、おそらく、投稿者によってもゾーニングしていると思われます。言葉は悪いけれど、危険な投稿者に対しては厳し目に、といったさじ加減も入れていると思います。
これは僕の被害妄想の憶測ではなくて、たとえばある著名な方の投稿された小説については、文中に「大人に関するあれ」がたくさん入っていても、デフォルトで今回のゾーニングから外れていました。というのは著者の方の投稿で書かれていました。(あえて該当の小説のリンクは張りませんが、みんなが一律で引っかかってるわけではなさそうです)
昨日のnoteについても、見事に「18歳以上向け」となっていた。
noteの内容は、「性的同意をとるのは良い流れ。でも言語化するのは難しいから、なにかよい方法はないかな?」という文章です。
冗談っぽくしているけれど、僕としては、真面目に(自分で言うのは恥ずかしいけれど、いつも真面目に)書いたつもりです。「性的同意」という比較的新しい単語について、触れられればいいなと。(そこから認知が広がるきっかけになればいいなと)
性的同意をとることの困難さについては、18歳未満こそが重要なのではないか? それを文中の単語だけで、表現だけで、機械的に「18歳以上向け」にしたら、僕が本来届けたかった彼/彼女らには届かないではないか?
ためしに管理画面から「18歳以上向けではない」をクリックしたら、
『18歳以上向けではない理由を教えてください ※必須』
となっていて、いちおう理由を書きました。書きましたけど、書きながら、なんだかすごくむなしくなってきたので、今回の記事を書いています。
規制対象になった過去の記事、全部に対して、一つ一つ『18歳以上向けではない理由を教えてください ※必須』を書いて提出する必要があるんです。18歳未満の方にも読んでほしい場合は。
提出しても審査があるので、必ずしも修正されるわけじゃない。自分で自分の記事に対して「これはこれこれの理由で、しかじかの観点にて、私としては、18歳未満の方が閲覧されても、悪影響はないと思慮いたします」と書く必要があるんです。
始末書を書くなんて、まさか自由なインターネットでやることになるとは、思ってもいませんでしたよ、、
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『今回の記事を書くにいたった、ポイントまとめ』
・文中の単語/表現で機械的に規制対象になっているらしい。
・どの単語/表現が規制対象になるかはブラックボックスなので、僕は記事を書くときに「この表現は規制対象になるのか?大丈夫か?」と思考/遠慮する必要がある。<表現に対する自由度が失われる>
・同じ単語/表現でも規制対象になっているユーザーと、なっていないユーザーがいるらしい。(確度の高い憶測)
・noteは(公式には表明しないだろうけれど)ユーザーごとに異なる判断軸でゾーニングを行っているらしい。(先生のお気に入りの生徒には甘く、そうでない生徒には厳し目に)
・そして僕はnoteにとって、あまりよい存在ではないらしい。
noteの「多様性を守る」という理念はすばらしいし、僕も共感している。本来であれば、僕の書く内容はnoteにはふさわしくないので(自覚は最初からありました)、もっと先に警告があってもよかったけれど、noteの優しさに包まれてここまで書いてきました。
でも今回の件で、面と向かって「きみの書いた、これと、これと、~ この記事については、いささか18歳未満の方の目にふれることはよくないので、規制します」と言われて、あらためてハッとしたんです。
noteの街にも僕の居場所がないんだなあ、と。
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『多様性を担保するための痛み。そして、』
ここまで僕の一方的な言い分を書いたけれど、note側の言い分もわかります。
18歳未満の閲覧者が増える > 巨大プラットフォームとして規制が必要になる > 18歳未満の閲覧にふさわしくない記事はゾーニングする必要がある > 全記事を目視チェックすることは非現実的なので機械的に行う必要がある > それによって規制対象外が規制対象になる可能性もある。(多様性を担保するための痛み)
今までネットのいろんな場所で文章をアップしてきたけれど、こんなにふうに規制されたのは初めてなので、正直驚いたり、憤ってみたり、納得してみたり。今は、割と冷静にキーボードを打っています。
note側がコンテンツの棲み分けをするのであれば(前述のとおり必要なことだ)、そして18歳未満の方にこそ読んでほしい場合は「自分からその根拠を述べよ。審査する」という手続きを踏んでいく必要があるのであれば、
僕がそのルールに対して面倒くさいと思うのであれば、
僕が去るだけなのだ。
フォロワーが100人もいない私がここでキャンキャン吠えたところで、影響力がないことは百も承知です。ただ、同じように感じた方がいるかもしれないので、一石を投じたかったのです。
僕はとりあえず教室を出るよ。
窓ガラスなんて壊して回ったりしないよ。静かに出るだけだよ。
1年半だったけど、楽しかったよ。
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追伸:小説を本腰入れて書こうとも思っていたので、いいきっかけかもしれない。みなさんには(もちろんこのnoteという場も含めて)本当に感謝しています。「ありがとう」という言葉は最後の最後にとっておきます。
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