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『祖父のブコウスキーは50歳でデビューして100冊の本を出版して伝説になった』 #ブコウスキー生誕100周年記念


チャールズ・ブコウスキー・ケン。これがおれの本名だ。

アメリカではチャールズ・ブコウスキー・3世と呼ばれている。しばらく渡米はしていない。パスポートも切れそうだが更新の予定はない。

2020年のお盆はLAXに飛ぶはずだった。

8月16日で生誕100周年をむかえるブコウスキーは、おれの爺さんだ。つまり、おれはブコウスキーの孫、クォーターになる。

身長が190センチ近くあるのは、ドイツ系の血が流れているから。目が茶色で、肌が白い。顔面の構成は残念ながらジャパニーズの祖母の血が濃い。もう少し西洋系たったらモテたかもしれない。贅沢はいわない。贅沢はいうなと祖父から教わった。質素倹約しろと。

「あまったお金はどうするの?」

「女と馬に貢ぐんだよ」

祖父は50歳を過ぎて創作活動に打ち込み、100冊の本を出し、30も離れた美女と同棲し、競馬に印税を注ぎ込み、73で白血病で亡くなった。

あんなにアルコールを飲みまくっても70歳まで生きられたのは、質素倹約の賜物かもしれない。ああ見えて、ほんとは真面目でシャイだったことをおれは知っている。まあこれは言わない約束だ。裏話は彼の功績の邪魔になるだけだ。

真面目な話、小説を書くというのはひどく難しい作業だ。

題材なんてみんな同じだ。それをどう書くか? 
自分という入れ物を通過させて、どんな単語を選んで、どう並べるか?

真面目にお手本どおりに書けばいいってもんじゃない。及第点がとれても、無味乾燥で面白くもなんともなかったら、それはわざわざ自分で書く必要がない。

だったらシェイクスピアを読め。ドストエフスキーを読め。祖父のブコウスキーを読め。

理想は、1行で、少なくとも3行でブコウスキーだ! とわかる文章。それが個人の文体というやつで、文体がもっとも大事だ。

英語ではヴォイスというらしい。文字どおり声だ。おれの声のしない文章なんて、おれが書く意味がない。読書感想文の得意な姉にでも書かせればいい。

この一番大事なことを、おれは祖父の遺してくれた書物から学んだ。表現をいくらカッコつけてもしょうがない。自分にない言葉をつかったらダメだ。

そして、ああ、思い出した。声を出すときにもっとも大切なこと。それは、

姿勢だ。

姿勢さえちゃんとしていれば、むしろ声は出さなくてもいい。姿勢が全部にわたって大事なことだ。猫背になってないか? 挙動不審になってないか? オドオドしてないか?

これはもちろん文章を書くときの比喩だ。

おれの文章が、ただ下品に見えるだけなら、おれはまだまだ精進する必要がある。

50歳までに祖父のブコウスキーにたどり着けるか? 無理かもしれない。だったら60歳まで書くだけだ。60歳でも到達できなかったら? 

70歳まで、80歳まで、死ぬまで書いて、あの世でも書いて、来世でも書いて、書いて書いて書きまくるだけだ。何度生まれ変わっても書くだけだ。

いつか笑いながら祖父と酒を酌み交わしたい。




2020年8月13日 チャールズ・ブコウスキー・ケン


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