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【小説】 「ロング・アイランド・アイスティー」


キャバクラのラストで流れる音楽は、優しいバラードが多い。少なくとも私が働いていたちょっと前までは。いまはアレのせいで大変だって聞く。夜の世界を狙い撃ちにしたみたいな疫病で、みんな元気かなって心配になる。でも顔がよくて喋れる子ならライブ配信して投げ銭もらえばいいから大丈夫かな。肉体的におじさんと接しないのはたぶん楽。でも他の部分で削られるか。でもなにかを切り売りしないとお金は稼げない。

新宿駅のライオンの口のまえで声をかけられて、ちょうど同棲中の彼氏と喧嘩したところだったからその足で体験入店したら2時間で6000円もらえた。別に楽しくもないけれどお金はあるに越したことはないのでその場でシフトを入れた。「この店は全額日払いだから安心してね」区役所の窓口にいそうなメガネの男が目を合わさずに早口で話す。目ぐらい見たほうがいいよ店長、と思うけれども、ジッと見つめられて説明されても怖いからあれが正解なのかもしれない。全額日払いがセールスポイントなのかどうかは初めてなのでわからない。

週3で夜勤することにした、と彼氏に伝える。なんの仕事、とは聞かれない。私も言わない。互いに興味がないふりをする。彼氏は将来小説家になると宣言してパソコンに向かいだした。「あなたの書くものは面白くないと思うよ」と茶目っ気たっぷりに笑ったら、死ぬほど激怒された。そんなに怒ることかな。私は中島らもさんが好きなんだけど、らもさんと比べたら彼氏の人生は豆腐。らもさんは鋼。戦車とか戦艦に使われる硬い金属。豆腐から産み出されるブンガクなんて「初夏の木漏れ日が赤茶色の地面を淡く照らした」みたいな正直読んでて眠くなる。せっかちな私は、で、なにが言いたいの、と途中でやめる。彼氏との関係みたいに。

源氏名を決めるときに店長に言われたのが「ここで働く理由も決めてね。みんな聞いてくるから。先に決めておけば楽だよ」とのことで、弟の進学費用のためにって答えたら「昭和かよ」と笑われたので、別に笑われても昭和でもいいんだけど、弟もいるし、実家にお金がないのも事実なんだけど、「彼氏と別れて一人暮らし始めたらお金がなくて。寂しい」と話すとみんなわりと乗ってくる。

理由が大事。人に説明するときには。わかりやすい方がいい。できれば1行で。

大学出てふらふらとアルバイトしてたら、なんで?夢はないの?って聞かれる。夢を持つことが正義らしい。夢がなくてダラダラと生きてたら人生の浪費で、年取って35歳ぐらいで後悔するよ、女の最大の武器は若さだよ、需要と供給という曲線があってね、知ってる?と3人に1人の割合でパワーポイントを出しそうな勢いで解説してくる。私はにこにこしながら傾聴する。

おれはこんなに君のことを思って考えて話ししてるんだよ、と言いながら鼻の穴が大きく広がって私の胸を見てるのは可愛らしい。男性は単純だから憎めない。単純で博識でなんでもすぐに結論を教えてくれる。

大学に入って初めて付き合った彼はバンドで食べていくのが夢だった。当時3Bって言葉が流行してて、3Bはやめた方がいいよ、って会う人全員から忠告されたけど、私の父は3B全部経験してたから免疫はある。とにかく一人の時間を与えてあげるのがいい。私は隣でお人形さんみたいに静かにしてる。私の母がそうだったように。彼は時々、思いついたみたいに触ってきて、終わったらノートになにかを書き始める。

彼の言葉が大好きでした。

私が彼と付き合った理由は、すぐに結論を出そうとしなかったから。「わかったような口を聞くやつは、全部にせものだよ」というのが彼の口癖だった。全部にせものかどうかは私の短い人生では断定できないけれど、腑に落ちる言葉は時として嘘なんだ、ということはわかっていた。

綺麗すぎるものは嘘が多い。言葉も物語も女の子も。

初日は金曜日だったせいか、ずっと満席で、最後まで男の人の隣にいた。途中でボーイに(大丈夫?裏で休む?)と心配されたけど、男におもちゃにされるのは慣れてるので大丈夫です、と答えたら変な顔をされた。1行でまとめすぎたかな。

同僚の女の子がトイレで切って、さっきのボーイが慌てる。ちびまる子ちゃんの目の上の線ぐらい多数。もう縫えないからとりあえずホッチキスかも。ナンバー1だか2だかの誕生日で、ヘルプについた子が飲みすぎて床で倒れる。口からほんとうに泡を吹き出す。あの子ヘンな薬やってんじゃないの、と若い商社マンが怪訝そうな顔をして、年収800万だけどおれと付き合う?と触ってくる。とりあえず3番テーブルのヘルプに入って、と誘導されて席に着いたら「おまえと飲むために来たんじゃない」と北の首領みたいな太ったおじさんが声を張り上げる。今日が初日なんです、と謝ったら笑顔になって好きなものを注文させてくれる。紅茶に似たカクテルを頼む。私はこれが好き。同じ日に体験入店した子がもう辞めるって泣きだす。ボーイがとりあえず帰宅させてから(のあちゃんは大丈夫?)と申し訳なさそうに言うので、子どもの頃から泣かないのが得技なんです、と笑う。

全部終わってから徐々に店内が明るくなって、天井のスピーカーから音楽が流れ出す。私はハッとする。女の子全員が立ち上がる。疲れ切った表情が照明に浮かぶ。ラストのお客様を笑顔で見送る。音楽が徐々に大きくなり、大音量になってお客様が外に出てからも流れ続ける。私は誰にも気づかれないようにして小さく口ずさむ。大学時代に彼が作ってくれた優しいメロディ。

遠い時間。私はなにかを間違ったのかもしれないし、なにかが足りなかったのかもしれないし、なにかから逃げたのかもしれない。彼がいまの私を見たらなんて言うだろうか。なにも言わないかもしれない。簡単に言えることに意味なんてない、簡単に理解されることに意味なんてないんだよって。





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